今やというか、昔からでもあるが、一つの作品で多数の「ヒロイン」と呼ばれるキャラクターが登場することが珍しくもない。そのため、私たち視聴者は自然とそのヒロインたちに対して系統で分類することを進めて行くことも増え、その結果が「(萌え)属性」と呼ばれる分類や細分化へと繋がっていったのだろう。

かつて、その「属性」の中で「幼馴染」と言えば、(もちろん全ての作品に当てはまるわけではないが)王道中の王道であり、恋愛ごとにおける勝者としての要素、あるいは正統派ヒロインの証として扱われてきた。

だが、その「幼馴染」という属性は今では「(恋愛)負けフラグ」「幼馴染は不遇」と言われることが圧倒的に多い。曲がりなりにも感想Blogを書くブロガーの一人として、いろいろな方の感想を巡らせてもらうと、この手の表現が多いことに気づくし、自分も知らず知らずの内に使っていることにも気づかされる。

今期もそういう作品は存在していて、特に『俺修羅』と呼ばれる『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる(春咲 千和)』はそんな声が上がっている最たる作品。さらに『僕は友達が少ないNEXT(三日月 夜空)』や『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ(猿渡 銀兵衛 春臣)』など幼馴染のヒロインが、こと恋愛に関して劣勢を強いられる作品は枚挙にいとまがない。

では、どうして「幼馴染」ヒロインは負けフラグ化しつつあるのか。今期『俺修羅』で改めて「幼馴染不遇説」が感想Blogに上がっているので、それを少しばかり考えてみよう。


※13/02/06 他の方のご意見を紹介する「番外編」を加筆しました。



◆初めに
初めに断わっておくと、私はこれから述べる「推察」を結論として皆さんに押し付けたいのではない。私だって全てのアニメやゲーム、ラノベなどのサブカルに目を通せているわけではないし、手に取った作品だってその隅から隅まで記憶しているわけではないのでね(苦笑

だから、この記事を読んで「私ならこう考える」「いやいや、俺はこういう理由だと思う」と当たり前に(?)使われるようになった「幼馴染ヒロインは負けフラグ(不遇)」といった言葉や感覚に対して、皆さんが何かを考えるきっかけになってくれれば嬉しい。



◆推察1:幼馴染ヒロインENDに飽き(られ)ている
かつて、幼馴染ヒロイン全盛期とでもいうべきような時代は確かにあったように感じる。特に恋愛SLG、いわゆる「ギャルゲー」と呼ばれるゲームやその作品のアニメ化では、必ず主要ヒロイン(攻略ヒロイン)に幼馴染ヒロインがいて、しかもホームページや取扱説明書でのキャラクター紹介では必ず上位に名を連ねていた。

でも、それは裏を返せばそれだけの数の幼馴染ヒロインと言う存在と、そのストーリー、そして結末(エンディング、END)を私たちは見てきたということ。

どんなに美味しい料理でも、朝昼晩の三食同じなら飽きるように私たちが過去のそういったヒロインたちを見聞きしてきたことで「飽き」が来ている可能性があるのではないか。あるいは、私たちファンやユーザーが飽きているというよりも、それ以上に作り手の方も飽きている可能性はないか。

もしかしたら「ツンデレ」にもその傾向があるのかもしれない。少し前と比べて、明らかな「ツンデレ」のヒロインは減ったような気がする。統計を取っているわけではないので、あくまで印象として「減っている気がする」だけなのだけどw



◆推察2:完璧ヒロインから一点特化ヒロインへの転換
これは完全に主観なのだが、「幼馴染ヒロインと言えば?」と問われて最初に脳裏に浮かんだのは、プレイしたこともない『ときめきメモリアル』の藤崎詩織だった。プレイしたことなくても思い浮かぶのだから、(年代にも寄るだろうけど)幼馴染ヒロインの代表格の一人は間違いなく彼女ではないだろうか。

そこで「藤崎詩織」という幼馴染ヒロインを少しだけ調べてみると、これが凄い。「容姿端麗」「頭脳明晰」「スポーツ万能」「学校のアイドル」、おまけに「誰からも好かれる心優しい」と性格まで良いのだから完璧にもほどがある。

さすがにここまでではないにせよ、似たような傾向が幼馴染ヒロインにはあったような気はする。
全員が全員ではないにせよ、例えば(フィクションのヒロインなのだから当たり前と言えば当たり前だが)可愛い容姿をしていて、「朝は家族の代わりに起こしてくれる(場合によっては朝食も)」「毎朝、一緒に登校する」「昼食のお弁当を作ってくれる」「勉強を見てくれる」「基本的に誰からも好かれている(性格が良い・交友が広い)」「初期で親密度が高い(理由をつけては窓から幼馴染が侵入してくるとかw)」なんかは割とデフォルトな装備だったではないだろうか。

つまり、幼馴染ヒロインというは完璧で万能だったということだ。そのヒロイン一人いれば、何らかの要素でユーザーやプレイヤーの「女性に求める理想像」のどこかに引っかかるようなハイスペックさ。今ほど、「萌え」が属性として細分化されていなかったから、一人のヒロインが数多の属性を自然と内包していたのかもしれないけれどね。

しかし、今の幼馴染ヒロインにはここまでの完璧な部分はない。もちろん、先にも挙げたように全員が全員ではないし、完璧幼馴染ヒロインだって最近の作品にもいるだろうけれど、全体的な印象として……。その代わり、例えばさっき挙げたような要素の一つ一つに特化されている気がする。

例えば最初に挙げた「朝は家族の代わりに起こしてくれる(場合によっては朝食も)」「毎朝、一緒に登校する」というファクターは、要するに「朝は一緒にいる」ということだ。そうなると、その要素を「幼馴染ヒロイン」ではなく、例えば「姉妹(義姉・義妹含む)ヒロイン」や一緒に住む「居候ヒロイン(主人公が居候しているケース含む)」に割り振って、そちらで特化して描いていく。

「誰からも好かれる」のであれば「学校のアイドル系ヒロイン」とし、「勉強を見てくれる」のであればもっと単純に「優等生ヒロイン」とし、「面倒見が良い」のなら「委員長ヒロイン」としていくのである。
そして、そういうものを他のヒロインに割り振って残った「幼馴染ヒロイン」は、「幼馴染」としてのポジションだけ(「だけ」って言い方もアレだが)が残る。そうなると、旧来の「幼馴染ヒロイン」と比べて恋愛で戦う力が弱体化し、周囲の他ヒロインが強化されるのだから、勝率が下がっていくのも必然ではないか。

もちろん、全てが全てコレに当てはまるわけではないのは百も承知だ。それでも少なからず「何でもできる幼馴染ヒロイン」よりも「個性のあるヒロイン」が充実してきた余波は受けているのも間違いないのではないだろうか。



◆推察3:弱体化しているように感じるだけで本当は弱体化してない
そもそも「幼馴染は負けフラグ」ということ自体が、間違った認識なのではないかという可能性。

推察2で挙げたように完璧万能型の幼馴染ヒロインは姿を消した気がする(そもそも完璧キャラが希少価値になってる気がする)。だが、幼馴染ヒロインが消えたわけではなく、先に挙げたように一点特化されていくヒロインの中に当然幼馴染ヒロインもいる。

そうした中で「幼馴染」という属性が、一点特化された属性に上書きされていて存在感が薄れているだけで、実際に勝ち組の幼馴染ヒロインは現在も多数存在しているのではないか、ということだ。

例えば「学校のアイドル」な「幼馴染」のヒロインがいた場合、今の作品は後者にスポットライトを当てるのではなく前者にスポットライトを当てるケースや頻度が多いので、結果的にこのヒロインと主人公が結ばれた時に「幼馴染ヒロインEND」という印象が薄く感じている、と言う風に。

あるいは、推察2で挙げたように姉妹ヒロインや居候ヒロインは、幼馴染としての側面を併せ持っているケースも多いが、より身近な「姉妹」「居候」というファクターの方がインパクトが強いのでそちらの印象が強いんじゃなかろうか。

もしこうした傾向にあるのだとすれば、何らかの理由で「凄いインパクトで幼馴染が大敗した」作品や時期があってそうした印象が私たちの脳裏にこびり付いているだけなのかもしれない。



◆推察4:「幼馴染」へのリアリティの低さ
これは簡単にいえば、「幼馴染」という存在に共感出来る視聴者が減った結果、「幼馴染ヒロイン」が総じて弱体化しているのではないかという推察である。

少子化、核家族化、近所付き合いの過疎化(地域コミュニティの低下)は現実世界の私たちにずっと言われてきたこと。特に最後の部分が低下していくと、当然「家が隣(あるいは近所)」という理由で家族ぐるみの付き合いをしたり、友達になったりということが減っているのではないか、と考えられるわけだ。

そうなると、アニメを始めサブカルの主要ターゲットとされる十代後半から二十代には、「幼馴染がいた」という経験が減っているのではないだろうか。「幼馴染」という存在自体が実感の持てるものではなくなるのであれば、視聴者たちはそうしたヒロインやヒロインとの恋愛に対して共感を持ちづらくなり、結果的に作り手もそれを感じ取って幼馴染ヒロインENDというものが減っていくのではないか、とは考えられないだろうか。

二次元のサブカルは、アニメにせよ、ゲームにせよ、ラノベにせよフィクションなのだから「実際にそういう存在がいたかどうか」というのは決定的な要因にはならないように見える。それでも、他の方のアニメやラノベの感想を読ませていただくと、「視聴者や読者の共感」の重要性を説く人が多い。「説く」というと堅苦しいけれど、要は「共感出来ること」の大切さが感想や何気ない一文一文の中に隠れているケースが多いと感じる。

そうなると、「幼馴染」という存在をフィクションの中でしか知らない人たちが増えれば当然「幼馴染」という属性や立ち位置に対して共感出来ないケースが増えて、結果的にもっと共感出来るヒロイン――例えば、単純に学校の同級生や部活・バイト仲間など――が作品の中で強みを発揮するのではないだろうか。



◆最後に
とりあえず4つほど、私なりに「どうして幼馴染ヒロインは負けフラグになってしまったのか」ということを考えてみた。冒頭で書いたように、この4つの推察が絶対の結論ではない。反論もあるだろうけど、それ以上に異論はきっとサブカル好きな人の数ほどあるのだと信じている。

なので、「私ならこう思う」「こういう理由で負けフラグになったんじゃないか」というのを、読んで下さった方が少しでも考えるきっかけとなってくれれば良いと思う。

その結果として、アニメを見て「面白かった」の感想一つで消化してしまうのではなく、アニメを見た上で「自分なりの意見・持論というものを抱く」ことで自分自身の「糧」とするきっかけになってくれれば、筆者としてはとても嬉しい。
人によって見る頻度は違うだろうけど、せっかく有限の時間を消費してアニメを見ているので、少しでも見た人にとって「糧」になれば、なお良いよねって。自分の意見を考えて持つ、と言うだけでそれはその人にとって十分「糧」となると思うし。


最後に投げかけておくと、先にも述べたが、ここまで「幼馴染=負けフラグ」みたいなことが言われるようになったのはきっかけとなる作品や時期があったはず。それを見つけ出すことが出来ると、私なんかよりももっと明朗な持論や答えを得られるのかもしれない。それがどんな作品だったかを、思い出して、今の作品ばかりではなく過去の作品を改めて観返して見るのもきっと面白いだろう。



以上となります。ここまでの長文を読んで下さり、ありがとうございました。




◆番外編:他の方の推察
実は書いた本人が全く予想していなかったほどの反応に戸惑っています(笑 コメントでも多くの方から、「私はこう思う」という持論・意見をいただきました。本当にありがとうございます。

改めて、少なくない人に「幼馴染ヒロイン」というものを考えてもらえたことがとても嬉しく、また反応してもらえたことにありがたく感じています。この記事に少なからず触発されて書いて下さった方の中から私が確認出来た方のリンク先を貼らせていただきましたので、気になった方はそちらもどうぞ。コメントの方には出来得る限り、お応えしたいと思っています。

藤四郎のひつまぶし』様
一体いつから───────幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた?
ほんなら幼なじみはどんくらいで流行ったかわかる? 90年代や
この記事から、ご自分なりにデータを作り上げて「そもそも幼なじみは正統派ヒロインなのか」というところに言及されています。どうやら90年代に幼馴染ブーム(?)が来ていたようで、そことの対比で「幼馴染は不遇」と感じているのかもしれませんね。


まっつねのアニメとか作画とか』様
「じゃあ、幼馴染が負けフラグになったのも…!」富野御大「それも小生だ」
ガンダムシリーズに絞っての考察になっています。確かに言われてみれば、ガンダムシリーズ――特に宇宙世紀で幼馴染のヒロインと主人公が恋愛的に結ばれるケースって稀かも。


ヘビ一級タイトルマッチ』様
幼なじみヒロインは永遠に負けフラグを背負っててください
自分が知る三作品を挙げて、そこから「幼馴染」の強いが故に負けて行くことを物語の構成という点から推察されちえます。まずは自分の好きな作品から考えて行く、というのがやっぱり取っ掛かりになりますね。


東雲製作所渉外部』様
幼馴染ヒロインが勝つための三つの手段
物語論としての幼馴染ヒロインの敗北の必然さに少し触れたところで、「なぜ、幼馴染ヒロインは負けフラグになったのか」から転じて「どうすれば幼馴染ヒロインは勝てるのか」という違う切り口からのご意見になってます。