おそらくほとんどの方が初めまして? 「刹那的虹色世界」の月詠と言います。はい、もっとこちらのBlog活動にもクロスレビュー以外に寄稿という形で参加しなくてはな、とwww

さて、遅ればせながらアクセル・ワールド 第16話を視聴しました。

まだ視聴されていない方、作品を知らない方の為にこちら(本文)ではネタバレを避けますが、新しい仕組みが出てきて、それも良く設定として考えられているな、と感じます。
その一方で感じたことは、作品に関してではなく自分自身の虚しさでした。どうしてそんなことを感じてしまったのか。それについて書いてみたいと思います。

(注意)
※追記以降にはネタバレ要素があります

※あくまで「ふと感じたこと」ですので業界に言及するものでもありません

それでも構わないと言う方は、「続きを読む」からどうぞ。



◆《心意システム》が示す設定偏重傾向◆

AW16話を視聴して、最初に驚いたのは《心意システム》なるものが登場したことだ。

《心意システム》は、原作未読である私が独自に解釈し咀嚼して表現すると「必殺技自作システム」。もちろん、そんな単純なものではないのは分かっているが、物語としての意味合いはそこだろう。つまり“飛行アビリティ”という武器を失ったクロウが、テイカーと再戦するための武器――つまり新しい必殺技の習得イベント。

メタな発言をすれば、《心意システム》は物語の都合上必要だったために追加されたものだと考えられる。そうでないのであれば、特に“災禍の鎧”編を経ているわけだからそこで出てきてもおかしくない。史上初のLv.9同士のガチバトル(by.レイン)まであったのだからなおのこと。

それ自体を批難するつもりはない。ラノベ業界には詳しくないが、そんな私でも一巻一巻の人気・売上に続編が起因してしまうだろうラノベにおいては、こうした後付けで出て来る設定は珍しいものではなく、最初から最終巻まで想定し完璧に設定とプロットを組み上げてから執筆に入って無事完走出来る作品の方がきっと珍しいことくらいは感覚として理解している。
だから私が着目するとすれば、そうした後付けの設定をどう盛り込んできたのか、という作者の手法なのである。それを簡潔に表現したのが「設定偏重傾向」と言う小見出し。

「設定偏重傾向」とは、出てくる設定・出てくる設定に緻密な設定を後付けで与えると言う意味で便宜的に用いてる私の造語なので単語自体は気にしないで欲しいが、現状はこうした傾向が強いように感じる。それは今のラノベ、そしてアニメ作品、そしてそれを読む今の読者の多くがそうした整合性や論理的な在り方を求めていると言うことだと思っているし、そうした設定面を前面に押し出して展開するストーリーも多いのだろうと思ってる。

ラノベをほとんど読んでいないので、現在刊行されているラノベが持っている傾向と言うものを掴めていないが、たぶんこうした設定偏重傾向が今の傾向であり、主流なのだと思う。それはアニメ化されているラノベ作品や、その感想を巡っていれば「そうなんじゃないかなー」とニュアンスとして感じられる。

その是非について述べることはしない。どちらかと言うと、それはケースバイケースだと思うからだ。これが上手くハマる作品もあれば、設定ばかりに目が向いてしまい肝心の物語がお粗末な作品も少なくない。
ただ個人的にはしっかりとした設定の存在は好意的・肯定的な立場である。「魔法」や「魔術」一つとっても綿密にどういう理論で構築され、どういう形で使われるのかが細かく決まっている方が好きだし魅力的に映っている。

しかしその一方で、そうした部分への“飽き”が来ているのも事実ではある。“飽き”と言うよりは、それに固執している気がすると書いた方が意味としては正しいかもしれない。なんか、どんどん自分が頭でっかちになって、そういった「どうしてそれが出来るのか」という裏付けを欲し、その裏付けに綿密な整合性やら論理性やらを求め過ぎている気がするのだ。
何の記事だったか忘れたけど、「魔法」を使う作品でその「魔法」の在り方について緻密に設定が組まれていることを批判する記事を見かけたことがあった。高度な「科学」と「魔法」は区別がつかず、ならばそうした緻密な設定によって運用される「魔法」はむしろ「科学」でありそれはファンタジーではなくSFではないか、もっと「魔法」は夢見れるものであるべきではないかと言う旨だったと思う。

それは確かにその通りだった。小さい頃、大好きだった漫画やアニメのキャラが使う「魔法(あるいは必殺技)」は何かしらのアイテムなり何なりこそあったが、極端な話をすれば念じて力を溜めて技名を口にしポーズを取れば発動する、文字通りの「魔法」や「必殺技」だったと思うのだ。

今回のAWの話だって要は「新必殺技の習得」だったわけで、その新必殺技がどうして出来るのかという裏付けとして出てきたのが《心意システム》だ。《心意システム》なんていう仰々しい名前と仕組みと言う裏付けが用いられたわけだが、(その是非はともかく)昔なら極端な話をすればそんな仕組みなんて二の次に「修行したら新しい必殺技を身につけたぜ!」で(言葉は悪いが)片付いていた話だったはず。
例えば、波動拳とかかめはめ波とか、霊丸とか。無論、そういうものにも「どうしてそれが出来るのか」という裏付けはあったのだろうが、そんなことを気にさせないだけの勢いがストーリーにあったか、あるいは私自身がそんなことを気にせず楽しんでいたのだと思う。

もちろん、近未来SFであるはずのAWとそうした「魔法」や「必殺技」が出てきた作品を同列視では考えられないことは承知している。だから、AWという作品とそうした作品を比較しているのではなく、全体的な潮流を感じながら思ったことこそが、今回私が「ふと感じたこと」――「自分の虚しさ」なのだ。



◆頭でっかちな自分に覚えた「虚しさ」

手から炎やエネルギー弾が出るとか、風を起こせるとか、瞬間移動が出来るとかそう言った単純明快に結果を提示しその勢いで魅せる作品は今影を潜めつつあり、注目されている作品・人気のある作品の多くはそうした炎を出したり風を起こしたりする部分がどうして可能なのかという部分を、緻密に理由(設定)付けをして論理的に説明し、表現しているような気がする。そしてそういう作品の数が増えて人気があると言うことは、そう言う傾向を読者も求め、作者も描いていると言うこと。
(無論、今だって単純に魅せる傾向のある作品も残っているのだと思うが)

だからこそ、純粋に「魔法」やら「必殺技」やらの存在に憧れていた子供の頃を経ているはずの自分が、今は「どうしてそれが出来るのか」と言う設定や裏付けを求め、さらにそれらに整合性や論理性ばかりを追求していることに気づいて、そんな頭でっかちな自分に「虚しさ」を覚えたのだ。

気がつけば私の中で一般的に言われるSFとファンタジーの要素がごっちゃになっていて、整合性がある物語や設定で作られた作品の方が素晴らしい、完成度が高いと言う先入観に陥っている。それは多かれ少なかれみなさんの中にもあるのではないだろうか。それが良いことなのか悪いことなのかは、読者のみなさんがそれぞれに判断して欲しいとは思うが、大人になって、いろんなアニメも観てきた居間になって、もっと純粋に憧れを抱けるような「科学」ではない「魔法」のような形があっても良いのだろう、とふと思ったわけだ。

もっと簡単に言うと、
Q.どうしてそんな魔法や必殺技が使えるんですか?
A.これが魔法や必殺技だからだよ
くらいの割り切った作品がもっと目立つ時代が来ても面白いのかなって。

「科学」化した設定は「凄い」と思うし「素晴らしい」とも評価するけど、「憧れ」は感じない気がするんだ。もちろんそれには個人差や作品ごとによる差があるだろう。それはそれで良いと思うし、他の方にこの感じたことを押し付けるつもりはない。
でも、私は最近の人気作品の潮流のど真ん中を行っているように思ってるAWという作品を見ていて、その作品が新しい必殺技を覚えるストーリーを目の当たりにして、ふとそんなことを想ってしまったのだ。

これらはもしかしたら物語と設定のバランスなのかもしれない。本来重視されるべき物語よりも設定に注目が集まって、それを察した作り手も設定を前面に出てきているので、そちらにどうしても目が行ってしまう。でも、子供のころ見ていた作品は、(もちろん、観ていた当時の私がそんなことを気にしなかったという要素も強いだろうが)そんな設定なんかを気にさせないくらいの勢いと言うか、魅せ方と言うか、そういうものが物語の方にあったのかもしれない。


最後に改めて断っておくが、別に私は「科学」化するほど綿密に組まれる設定を批判しているわけでも、勢いで魅せるような作品を推奨しているわけでもない。どんな作品が好まれるかは時代によって違うし、同じ人でもそれに触れる時期によっても評価は異なるはずだからだ。
ただ、そう「感じた」だけなのである。この「感じた」感性は的外れのものであるのか、それとも次の時代の潮流を何らかの形で感じ取ったからなのかは、それこそ五年後、十年後んあってみないと分からないと思う。



◆終わりに◆

五年後、十年後なんて先々の話はともかく、どんなブームや流行にも「波」があるもの。特定の作品や傾向に人気が出れば当然類似作品は出て来るし、似たような作品が多くなればそれは飽和状態となるので、読者はまた違ったものを求めて行き、また違うブームや流行が訪れるのだろう。
ちょっと思い返すと、十年ほど前の00年代には今ほど綿密な設定ではなくもっと勢いで魅せる『ゼロの使い魔』などの作品もあったんだなー、と思い出す(原作読んでないので安易に断言出来ないがw)。また『ホライゾン』のように「科学」化した設定を持ちながら、それを前面には出さず勢いで魅せるような作品もある。

しばらくすると、そうした子供の頃に感じた気持ちで憧れを持って勢いを感じさせてくれる作品がまた主流になる時代も来るのかもしれない。