2008年、わたしの世界は変わりました。
『true tears』を観てしまったのです。
実はこの時期、わたしは自殺を考えていました。
生きる意味が見いだせなかったのです。
鬱屈とした日々が続いていました。
部屋に閉じこもり、塞ぎ込んでいました。

そんなわたしを救ってくれたのは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』という小説と『true tears』でした。
アンナ・カレーニナには、わたしと同じく人生の意味に悩むレーヴィン(リョーヴィン)という青年が出てきます。
もう一人の主人公・レーヴィンの生き様に自分を重ねると、生きる上での悩みがふっと消えていったのです。
そして、生きる意志を取り戻させたのは『true tears』でした。
アニメ・漫画をはじめとしたサブカルチャーと添い遂げる勇気をくれたのです。
アニメへの圧倒的な信頼が、わたしの内部に戻って来ました。

『true tears』はアニメの風景を変えた作品だと思います。
文字通り、truetearsの画面にはそれまでアニメが描いて来なかった風景があります。
truetearsの新しさとは、描写の新しさではないかと思います。
極端に言えば、それまでのアニメには「描写」がなかった。
truetearsはアニメに「描写」を導入したのです。

考えながら楽しむアニメと、観ること自体が楽しいアニメがあります。
truetearsは後者です。
観ている間陶酔して、心地良い感覚のまま観終えて現実に戻る。
観ている間は夢見心地です。
truetearsは、わたしにとってそんなアニメなのです。


それから、この年は『紅 kurenai』というアニメも忘れてはいけません。
わたしが常々提唱している「音の置き方」の大事さに気づかせてくれたのが『紅』なのです。
リアルタイムで観ていて、『紅』は脚本や演出の作りがちょっと違うなあと思っていました。
その独自性は、音の置き方に担保されていたのです。
それに気づきました。
松尾衡監督のプレスコのおかげでした。



『紅 kurenai』の松尾衡と、『truetears』の西村純二。
ひょっとしたら、2000年代でいちばん重要な監督は、この2人なのかもしれません。