思いつきの記事なのですが、これから数回にわたって、2000年代アニメを「監督」という視点から振り返って行きたいと思います。
いまは2010年代であり、2000年代は忘却の旋律になりつつあります。
しかし、2000年代のちゃんとした回顧はいまだに十分になされていないと思っていますから・・・・・・。

これはおもいっきり個人的なエッセイなので、冗談半分にお読みください。
資料的な価値はほとんどありません。
じぶんとアニメ監督との関わりをつらつら述べただけです。

尚、人物名は特定の人物をのぞいて敬称略といたしました。
・細田守とのニアミス

とりあえず、2000年代に至るまでの前置き。
90年代後半はわたしは小学生だったので、アニメ制作者に関する興味をまだ持っていませんでした。
知っているアニメ監督は宮崎駿のほかにはせいぜい、高畑勲と庵野秀明(『エヴァ』の人)くらいしかいなかったと思います。
2000年前後、小学校高学年の時期ですが、デジモンシリーズにハマっていた頃も、スタッフへの興味はあまりありませんでした。
ただ、細田守の名前をその時期覚えました。
細田守は1999年の映画『デジモンアドベンチャー』、2000年の映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』で一気に名声を高めていました。
しかし個人的には重要なのは映画ではありません。
1999年夏に放映された『デジモンアドベンチャー』第21回の演出は大変な話題を呼びました。
そこで細田守の名前を覚えました。
その後の『ぼくらのウォーゲーム!』も大変な話題になりましたが、わたしは劇場では見ていません。見たのは大人になってからです。
本来細田守はカルト的な支持を得た演出家でした。
『ハウルの動く城』の監督をやると聞いた時には「ああ、彼が宮崎駿の後継者になるのかな」と漠然と思っておりましたが、本質的なイメージは、東映アニメーションのTVシリーズに突然やってきて化け物じみたクオリティを残すという、トランプで言えばジョーカー(切り札)的な存在の演出家でした。
わたしが印象に残ったのは、『ウォーゲーム!』公開時のアニメージュの記事です。
それは本当に小さな扱いの記事でした。しかし、そこからは彼の仕事に対する異様な執着が感じられたのです。
特に印象的だったのは、主演声優の藤田淑子と細田の主人公「八神太一」の認識をめぐる対立です。いま当該の『アニメージュ』は手元にありませんが、藤田淑子と細田が口論する様子がルポ漫画に掲載されていたはずです。
「アニメ監督って、声優と喧嘩するんだ」とか思った記憶があります。
さて、細田はその後、衝撃の一作『デジモンアドベンチャー02』ドラマCDの演出、枚数制限を逆手に取った『スパイラル~推理の絆』のOP演出、『おジャ魔女どれみドッカーン!』『明日のナージャ』における活躍等によってアニメファンに強い印象を残します。
その後の『ハウルの動く城』をめぐる騒動、『時をかける少女』『サマーウォーズ』における「ブランド化」は説明の必要はないでしょう。ただ、時が進むにつれわたしの細田への興味は薄くなって行きました。
ゼロ年代初期の印象が強すぎたのです。


・庵野秀明と佐藤竜雄~乳歯の生え変わり

2001年頃、中学に入ってから見た『彼氏彼女の事情』(CS再放送)と『学園戦記ムリョウ』はわたしに決定的な影響を与えました。
たとえるなら乳歯の生え変わりのようにアニメの嗜好も「臼歯」に生え変わったのです。
「アニメでこんなことをしてもいいんだ」という驚きが単純に両作品にはありました。
庵野秀明に関しては、『エヴァンゲリオン』を作った人という認識しかそれまで持っていませんでしたが、両作品を天秤にかけても、エヴァは嫌いで断然『カレカノ』が好きでした。
サトタツさんに関しては、こんなことを覚えています。
たしか『学園戦記ムリョウ』の終盤で、放送が一週だけ休止になり、サトタツさんが『衛星アニメ劇場』に出演して作品解説をするという週があったと記憶しています。
そこでサトタツさんの顔を初めて見ました。
当時私は『ムリョウ』に骨の髄まで心酔しており(当時の「唯一の娯楽」といってよかった)、その特集番組も画面に食い入るように観ておりましたが、ひょっとしたらその時がスタッフを過剰に意識した最初の瞬間かも知れません。
なぜなら『ムリョウ』には監督の個の世界があったからです。
そういえば当時、NHKBS放送は『金曜アニメ館』も放送しており、年少のアニメ好きにアニメ制作を啓蒙するには十分なコンテンツが備わっていました。
(わたしは芝山努が出演した回でフィルモグラフィーをみて「すげー! いくら稼いだんだろうこの人!」とか言ってたような気がします。あと下田正美が出演して「『魔法遣いに大切なこと』は3階から人が落ちれば死ぬ世界観」とか言ってたのも鮮烈に覚えています。)
ともかく庵野とサトタツさんはアニメを見始めた頃のわたしにとって重要な演出家でした。

・押井守に感染

2002年からケーブルテレビが見れるようになり、キッズステーションで『うる星やつら』を毎日のように見ていました。
あの頃は『うる星やつら』と『東京アンダーグラウンド』で毎日が回転していました。しかし『うる星やつら』がいかに凄いかを嬉々として語る中学2年生のわたしは、級友には奇異の目で見られました。古いアニメのヒロインなのにそんなにラムちゃんが好きなのか、とか皮肉られていました。わたしは演出のことを言っていたのに。
思えば音の置き方に最初に注目したのもその頃かも知れません。初期の『らんま1/2』における望月智充の音の置き方が好きでしたから。音響には敏感だったかも知れません。
とにかく『うる星やつら』の押井演出はわたしを幻惑させるに足りていました。ありていにいってしまえば「ロック」でした。レッド・ツェッペリンが出す音のような。
なので『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』といったほかの押井作品にも当然興味を示しました。しかし『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』だけは最後までわけがわかりませんでした。
押井監督作のなかで、めぼしい作品でまだ見ていないのは『うる星やつら オンリー・ユー』と『紅い眼鏡』くらいになっています。

・運命の人:佐藤順一

2003年に『カレイドスター』中毒になりました。行動原理が苗木野そらの模倣のようになり、始終前回の放送と今週どんな内容が放送されるかについて思いを巡らせていました。なんといってもシンパシーを感じたのはケン・ロビンスでした。
ただ、監督の佐藤順一が作る作品はどちらかというと苦手な部類でした。
『美少女戦士セーラームーン』、『夢のクレヨン王国』、『おジャ魔女どれみ』は自分の妹世代が観る女児向けアニメだと思っていましたし、それらに狂喜乱舞する「大きなお友達」を心底軽蔑しておりました。『プリンセスチュチュ』はキッズステーションでの番宣を観て「なんか怖そうなアニメ」という、大変失礼な認識を持っておりました。
だから、こういった系統の監督のアニメにハマるのは自分でも意外でした。
その後のサトジュンさんの活動はみなさんがご存知のとおりです。
わたしが興味深くみているのは、『カレイドスター』『プリンセスチュチュ』などを素通りして『ARIA』からサトジュンさんの「シンパ」になる人が増えていることです。『ARIA』が彼の最高傑作だと思っている人も多い。
これも時代の趨勢なのでしょうか。ちなみにわたしは『ARIA』否定派で『たまゆら』肯定派です。これを説明すれば長くなってしまいます。

・アニメ離れ

高校に入り、文学やロックなど他の分野に興味が移り、漫画は読み続けていましたが次第にアニメへの興味を失って行きました。深夜アニメの急速な伸長に対応できませんでした。
せいぜい高校時代前期は『スクールランブル』1期の高松信司演出を「おっ」と思ったくらいでした。
ただ、『カレイドスター』の録画は毎日のように見返しておりました。
(次回に続く)