・・・意味不明なタイトルですが。


【アニメ番組の感想を書くにあたって、あえて作画や美術といった「品質に関わる要素」を軽視し、内に宿る「テレビ漫画的要素」を何とかして抽出しようとする試み】 

本稿ではこれを考察しようと思います。
唐突ですが、

・「ヤシガニ屠る」でピンと来ますか? 

・【GUN道 MUSASHI】 を知っていますか?

わからなければ、それで結構なのですが、何が言いたいかというと、ここ3,4年のうちにアニメの品質は明らかに向上しています。
作画崩壊が起こらなくなり、地デジ化の進行と共にアニメの「見栄え」のレベルが上がりました。ビジュアルの面では、完成度の高い作品が続発しています。
かっちりした作画、レイアウト、鮮やかな美術、撮影でなければ、購買者が振り向いてくれないのだろうと想像します。
しかし、その結果、アニメは「テレビまんが」からかけ離れていっています。
そもそもアニメとアニメーションは違います。アニメ、というとき、そこには日本的なイメージが含まれています。つまり、日本アニメとしての特質。
日本アニメといえば、やっぱり脚本と演出でしょう!!
もともとは作画枚数の少なさの産物ですが、静止画、使い回しであっても /あるからこそ、決定的瞬間を表現できるのが日本のアニメ=テレビまんがです。それは言うまでもなく、脚本と演出に支えられています。
ところが、近年の「しっかりした」アニメ作品はアニメというよりはアニメーション的傾向を強めています。脚本と演出でなく、作画や美術などが先行しています。これではアニメが「動き」や「背景画」に回収されてしまいます。これは本末転倒だと思うのですが、いささか暴論でしょうか?
アニメーションではなく、アニメにはある種の”安っぽさ”が必要です。
誤解を恐れず言えば、少々画面レベルがお粗末でもいいんです。
心を打てば。物語の骨格が、きちんとコンテで表現できていれば。
クオリティがチープになればなるほど、感情移入が増すこともあります。
【デジモンアドベンチャー】の最終回を思い出してください。太刀川ミミの帽子が飛ばされ、主題歌が流れるシーンです。
ひたすら手を振るデジモンたちと、それに応答する選ばれし子供たちが「バンクで」描写されます。
しかしこの予算の少なさに起因する使い回し演出が、多くの視聴者の心を打ち、たくさんの人が評価するように、90年代アニメの総決算シーンとして記憶されているわけです。チープではありますが、今村隆寛一世一代の演出なのです。
TVの【デジモンアドベンチャー】に 作画的見所はほとんどない。【機動戦士ガンダム】のTVだってバンクが多い。【カレイドスター】にしたって、じつは引きのカットでは崩れていることが多い。
わたしは【ガンダム】【デジモン】【カレイド】は一本の線でつながると考えていますが、それはまた別の話。
極端に言えば、作画レベルと作品の面白さは関係しないのではないでしょうか。
いちど作画や背景画を、<フッサール的にいえば>カッコに入れてみましょう。
捨象してみましょう。脚本と演出だけでアニメを語ってみようではありませんか?

ここまでをまとめると、けしてアニメ(≠アニメーション)の面白さは、作画に起因するものではない。
 テレビまんが的なものは、脚本と演出に支えられている。
日本のアニメに限れば、脚本と演出のほうが重要と言えます。

いま【あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。】の再放送をたいへん面白く観ていますが、もうすこし作画も美術もナヨナヨしていたら凄いことになっていただろうなあ、と本気で思っています。
あの花はアニメですが、テレビまんがらしさが薄い。かっこいいフィルムにはなっているけど、ダサかっこいい、ではない。
【true tears】とか、あれでももう少しダサかっこよかった気がしますよ。
あの花が嫌いなわけじゃないですよ、念のため。あの花みたいなアニメはむしろ歓迎します。

実は深夜アニメが主流になりきれないのって、テレビまんがらしさが欠けているのが原因かもしれません。
以前は【テレビまんが】を冠した深夜アニメもありましたが・・・

決して懐古主義ではないけれど、テレビまんががもう少し復権してもいい気がします。
ブログの書き方も、作画や美術といった「見た目」を軽視して、その先にある「テレビまんが」を重視する。
10月期からの自ブログの方針としては、作画や背景に頼らないアニメ感想を目指したい。できるだけアニメーターの名前を出さずに書く。ビジュアルの先にある「物語の骨」(注1)を見出したい・・・物語の骨って、なんというか、「文学のふるさと」(坂口UNGO!)みたいな ものです。

そんなところですかね。
最後に自ブログのCM・・・↓
 
もっと最高の夢を 



注1: よかったら星山博之著【アニメシナリオ教室】を手にとってみてください。