こんにちは、「妄想詩人の手記」のおパゲーヌスです。

先日、映画『コクリコ坂から』のネタバレ無し感想を、アニプレッション!の方に掲載させていただきました。そちらはまだ未見の方にも向けた、ネタバレ無しの紹介記事という意味合いが強かったのですが、今回は『コクリコ坂から』をすでに鑑賞済みの方々に向けて、ネタバレ有りの感想を書きたいと思います。

とは言っても、映画そのものの評価やチェックポイントをあげつらう普通の感想ではなくて、極めて個人的な問題に絡めながら、コラム形式で書いてみたいと思います。個人的な問題というのは、僕の家族の話です。匿名のインターネット上でやる話ではないかもしれないし、僕自身以外の方の興味はこれっぽっちも引かないかも しれない。けれど僕にとって、これを語らずには『コクリコ坂』を語ることはできないというくらい切実な問題なので、どうか我慢して付き合っていただければ幸いです。

タイトルは、「祖母と、見知らぬ船乗りの祖父」。横浜に暮らしていた、ある一家のお話です。



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3.11、東日本大震災の発生した当日、僕は自宅を離れて横浜にいた。運命的としか言いようがないタイミングで逝去した祖母の葬儀のために、家族全員で横浜の祖母の家に集まっていたのだ。地震の発生したその瞬間に、家族全員が一か所にかたまっていられたという幸運は、祖母からの最後の贈り物だったかもしれ ない。

その祖母が生前よく口にしていたのが、僕の顔を見て、祖父によく似てきた、というものだった。会うたびどころか、会話の中で何度も何度もその話になるのだから、よほど祖母にとっては感慨深かったのかもしれない。そんな祖母の話を聞いて、僕はちょっと複雑な気持ちになってしまったものだった。なぜなら、僕は祖父を知らなかったからだ。

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祖父は、僕の父がまだ物心もつかないころに他界した。祖父は船乗りであったという。『コクリコ坂』の主人公・松崎海(メル)の父親と、同じである。ただし僕の実の祖父は、メルの父のような”出来た”人ではなかった。「あの人は船乗りだから……」という当時の偏見に満ちた枕詞を付けて語られる祖父の姿は、息子の養育をすべて妻に押し付け、たまにしか家に寄りつかず、口を開けば遊び金をせびり、酒やギャンブルや女遊びにうつつを抜かすような人であった。そして、妻と幼い息子を残して、突然この世からいなくなった。

僕が記憶として知っている祖父は、父方に関して言えば、曽祖父と、祖母が再婚した”苗字の違う”祖父の二人だった。幼いころの僕にとってはどちらも本物の祖父であったし、祖父の苗字が自分とも曽祖父の家とも違うものであるということに何の疑問も持たなかった。だが後から考えれば、横浜のあの家には三つの苗字が同居していたのだった。曽祖父・曾祖母夫婦の苗字と、早くに亡くなってしまった祖父(および祖母)の苗字と、そして祖母の再婚相手の苗字である。少なくとも僕が7~8歳になって曾祖母が他界するまでは、そのような状況が続いていたのであった。

ただし、厳密に言えば、さらにここにもう一つの”血”が存在していた。祖母は、もらわれ子であった。どこかの夫婦が、まだ赤ん坊だった祖母を、横浜にいた僕の曽祖父・曾祖母にあずけた。あずけた、という言い方は、たぶん柔らかすぎるかもしれない。実質的には、実の親に捨てられた娘であったようだ。だから祖母の家庭には、じつに四つもの血が、家が、入り混じって同居していたことになる。だから僕にとっては、祖母の再婚相手である祖父だけでなく、実の親類だと思っていた曽祖父・曾祖母も、義理のものであった。僕の家系を父方に辿ろうとすれば、だからわずか三代で途絶え、出所が分からなくなる。戸籍上はどうなっているのか、詳しく調べたことはないけれども、感覚としてはどうしても、根無し草の印象が消し去れない。

祖母の出自が分からないという点を、僕の父はかなり気にしていたらしい。父が高校生のころ、本当に突然、バイクで滋賀のほうにまで一人旅を行ったそうなのだが、どうやらその衝動的な旅路は、祖母の本当の家系を辿ろうとしたのではないかということだ。本当に祖母の出自が滋賀(もしくは近畿地方)にあるのかどうかは知らない。祖母がそれを知っていたかどうかもわからない。だが、特殊な家庭事情で息子の心に負担をかけていたのではないかと、そのことを晩年の祖母はよく口にした。それはそうだろう、自分自身の咎ではないとはいえ、父親は他界し母親は出自不明となれば、少年であった父がアイデンティティの喪失にも似た不安を抱くのも当然あり得ることだ。ましてや、亡くなった祖父の親類が祖母の家庭とコンタクトを取っていた様子はこれっぽっちもなかったから、おそらく断絶状態にあったか、もしくは祖父もまた出自のよく分からない人であった可能性も高く、そうなれば父にとってこの世で血のつながった肉親は、体の小さな母親(僕の祖母)ただ一人ということになってしまう。法的・経済的問題は別にして、ただ自我の確立という点に関してだけ見ても、このような家庭環境が若いころの父に与えた不安の大きさは想像に余る。

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こうした事情があったから、映画『コクリコ坂から』で描かれたふたつの家族の物語は、劇中の描写は例え明るいものであったとしても、観ている僕の胸にはどこか喪失感にも似た寂しげな印象を強く残す事になった。

主人公のメルは、映画本編のほとんどの場面において、両親と離れ離れのまま、半ば自立した少女として描かれている。とうの昔に他界してしまった父親に、アメリカ留学中でいつ戻るかも分からない母親。妹や弟だけでなく、下宿の住人たちの世話も焼きながら、奔流のような日々をせっせと生きている。もちろんそんな生活に恨み言を言うような人物ではない。けれど、本来であれば当然、両親健在のもとで一家団欒を楽しんでいるべき少女が、愛する父母の不在という空虚をつねに抱きかかえていなければならないという事実。とくに父親とは、どんなに誇らしい記憶に満たされていようとも、もう絶対に生きて会うことはないという冷徹な現実がある。もうこの世で船を動かすことのない父に向って、いまでも「UW旗」を掲げ続けているメルの心情には、やはり心を動かされる。

また、もう一人の主人公であり、もう一人の”船乗りの子”である風間俊。彼の境遇にはメル以上に胸を打ち、考えさせられるものがある。彼は、いまも現に船乗りとして生計を立てている風間昭雄の息子として暮らしているのではあるが、風間家とは血の繋がっていない養子だということを、彼はすでに聞かされている。そして、本当の父親らしい人物として、メルの父親である澤村雄一郎の名を聞かされてきた。俊は、無骨だが暖かい養父・昭雄のことを父として慕い尊敬しているが、やはりどうしても、血のつながった本当の父親のことを気にしてしまう。また昭雄も息子のそうした複雑な感情をよく理解しているのだが、それでもどうしてやることもできず、親子の過ごす時間にはどこか触れてはならない核心を避けているような、そんな曖昧な空気感が漂っている。十分に幸福で、満ち足りた、希望に溢れる青春を送っているはずの風間俊において、それでもなお一筋の陰影がよぎるとき、どこに発散したら良いか分からないやりきれない感情を彼の中に見出さずにはいられない。

メルと俊、二人の主人公が抱える、父の不在という境遇に対する想いは、映画の中盤において二人の恋がいったんは破綻してしまう一連のシーンにおいて、強烈に意識させられる。好きになりかけた相手が、じつは同じ父親を持った兄妹であったという事実は、恋愛ドラマとしては、「まるで安っぽいメロドラマだ」と吐き捨てる俊のセリフと、「じゃあどうしたらいいの?」と困惑したきりさほど盛り上がりもせずにただ通過していったメルの感情の推移によって、まったくの茶番に終わってしまう。これはその後、じつは二人は実の兄妹ではなかった、というタネ明かしが行われた際の”盛り上がらなさ”に直結してしまう部分ではあるのだが、むしろここで重要なのは、澤村雄一郎という一人の船乗りを介して二人がリンクしたことによって、とくに隠し子の疑いのあった風間俊にとっては、実の父親の足跡をたどりたいという秘めた願望を強く燃え上がらせることに繋がってくることだ。


むろん、実は兄妹だったかもしれないという現実は、メルの少女としての生き様を別の角度から照らし出し、たとえ兄妹だとしても好きだと告白し合った瞬間をクライマックスとして、ひとつの珠玉のドラマを作り上げてはいる。あくまでメルの視点で描かれたこの作品においては、彼女の父親への愛情や恋慕と、それに重なり合う風間俊への想いこそが、物語の主軸である。また劇としては、俊が自分の出生の秘密を打ち明けた後から、主眼を二人のロマンスではなくカルチェラタン取り壊し騒動のほうに移していくので、その間に様々な感情や思考が去来したであろう風間俊の心の動きは、満足には描かれなかった。このあたりの彼の内面は、カルチェラタンでの一件にケリがついた直後、父のかつての友人である小野寺善雄に会いに行く急転直下の展開の中で、彼がどれほど真剣かつ切実に走り抜けていったか、そのあたりの描写から推測するしかない。

ともあれ、実の父のいない二人が父の面影を追い求めて懸命になる姿は、映画全体の最大のクライマックスであり、また僕自身の胸をもっとも強く揺さぶったシーンだった。とくに僕は前述の通り、幸い両親は健在だが祖父母の出生にちょっと特殊な事情を抱えていたから、やはり両親に愛されて育てられながらも自分の本当の血筋のありかを知りたくて奔走する風間俊に、より深く共感を覚えたのだった。自分の両親が横浜出身で、僕自身も横浜市内にて生を受けたという事実それ自体は、僕がこの映画を鑑賞する上でほとんど何の感慨ももたらすことは無かったのだが(こんな昔の横浜のどこに懐かしさなどあろうか)、しかしここで繰り広げられた家族愛のドラマ、もっと言えば喪失した肉親への恋慕や自身の出自の不確かさからくる漠然とした不安といったものが色濃く描かれていたこと が、僕を映画にのめり込ませ、必要以上とさえ言えるくらい感動させた要素だった。

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今作で描かれた、複数の家族にまたがる複雑な事情に対して、もっとも端的にその本質へ迫って見せたシーンがある。それは、アメリカから帰ってきた母親に対して、メルが亡き父と風間俊のことを尋ねたときだ。

メルの母は、風間俊が夫・澤村雄一郎の実の子ではなく、彼の親友である立花洋の子であること、立花夫妻が他界したことから幼い俊を養子として引き取り、さらにその子を、子どもを亡くしたばかりで悲嘆に暮れていた風間昭雄とその妻に預けたことを、メルに明かした。三家族にわたるこのちょっとした事件、いくつかの不運が重なり、いくつもの決意が掛け合わされて現出した、苦し紛れかもしれなかったけれども決して後悔のない決断。そんな事情を洗いざらい打ち明けた末に、メルの母は、「こういうことは、その頃はよくあったこと」なのだと語った。この、何気なく口を突いて出たたった一言に、メルや俊の父母たちが味わった様々な苦労や、当時の難しい時代背景、しかしその中でとにかく全力で幸福を追い求めた健気な人間たちの生き様が、すべて詰め込まれているようだと感じ た。

そう、よくあったことだったのだ。様々な事情により片親もしくは両親から子どもが離れ離れになってしまうことも。そのような子を心ある誰かが引き取って代わりに育てることも。子どもが思春期を迎えたとき、家族というものに対して少なからぬ想い(負の感情も含めて)を抱えていることも。まだ敗戦の痕跡が色濃く残る中、戦前戦中戦後のそれぞれの時代の負債を背負ったまま、来たるべき飛躍の予感もまだ多くの人々にとっては絵空事であった1963(昭和38)年という時代にあって、現代に生きる我々には想像もつかないような苦労(肉体的・経済的・精神的な)を背負った少年少女たちの生き様が、「よくあること」の一言ですべて言い表されてしまう。そんな現実の、何とも言葉にしがたいやりきれなさ。当時の激動を肌身で体感してはじめて、この表現が真に重みのある感慨深い言葉として発せられるのだろうと思う。

繰り返しになるが、僕の祖母は、まだ赤ん坊の頃にどこかから”もらわれ”てきて、青春時代を戦争とともにすごし、戦後まもなく結婚したが遊び人であった夫に苦しめられた。船乗りの宿命たる不慮の事故で夫を亡くしてからは、少ない収入をなんとかやりくりしながら幼い僕の父を養育した。そして晩年は孫の顔を見るたびにかつての夫の姿をそこに認め、僕の頬を撫でながら当時のことを幾度も振り返っていた。そんな祖母の人生もまた、「よくあること」のひとつだった。彼女の人生が幸せであったのかどうか、僕には分からない。正直、僕が同じような人生を辿っていたら、あんなに精いっぱい生きてこられたかどうか自信はない。それでも、孫の僕と話をするときは、辛かったこと苦しかったことはほとんど語らずに、ただ当時どんなことが好きだったか、そればかりを楽しそうに話していた祖母の姿は、忘れられない。


たぶんきっと、悪くない人生だったんじゃないかと思う。今となってはもう聞くすべはないが、そう信じていたい。だって、映画『コクリコ坂から』にて生き生きと描かれていたメルや俊やその父母たちは、確かに大変な苦労を背負い込んでいたけれど、それでも人生の一幕一幕を全力で楽しんで生き切っていたではないか。 映画はフィクションだし、メルたちはあくまで作り物のキャラクターに過ぎないものではあるが、そこで表現されていた人々の姿は、僕が祖父母や父たちの生き様をわずかでも連想させるだけのものがあった。それはもしかしたら、たまたま舞台が横浜で、キャラクターたちの年代がちょうど祖父母や父とピタリと重なり、また船乗りという職業がクローズアップされたという、そうした設定上の類似点だけであったと言えばそうであろう。けれども、僕がどうしても想像しようとしても叶わなかった(ましてや直接聞くなんてとてもできない)肉親たちの過去のありようを、どんなカタチであれ教えてくれた。この経験は、僕にとってはかけがえのないものであった。

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映画『コクリコ坂から』。面白かったかどうか、あるいはどこに共感や感動を覚えたかは、もちろん人それぞれだろう。正直自分としても、祖父母のことがなかったら、50年も前のまるで異世界のような見知らぬ横浜の街や、そこで繰り広げられる、肉親との死別が重要なテーマとされる物語について、面白いとか興味深いとは思えたとしても、作中人物の置かれた立場や感情を親身になって理解し共感することなど、とてもできなかっただろう。もしそうなれば、この映画は 他のたくさんの映画・アニメ作品のなかのひとつとして、記憶の中にうずもれて行ってしまったかもしれない。

しかし、当時の時代や人々のことを知っている世代がちゃんといて、彼らがいまや子や孫を抱えているという現在、この物語が発表されることによって生じる価値の中には、純粋な作品の出来不出来という問題よりもずっと大きな存在として”親子の語らいの場を提供し、家族の絆についてしみじみと考えさせるよいきっかけとなり得る”という点が確かにあるだろう。例えば劇中のメルや俊がいまも生きているとすれば、一般的な企業ではちょうど定年を迎えて間もない世代にあたるはずだ。言ってみれば、人が社会の一員として存分に活躍できる立場として一定の目途がついた頃であり、人生の悲喜こもごもをある程度は味わい、それを振り返って思い出語りができる世代と言える。またその子どもはおそらく成人して社会生活を歩み始めているだろうし、もしかしたら孫だっているかもしれない。

『コクリコ坂から』という映画が舞台とした1963年、およびその時代に生きていた人々というのは、そういう世代なのである。それを、1941年生まれの 宮崎駿が企画し、1967年生まれの息子・宮崎吾朗が監督を務めた。劇中のキャラクターたちを、当事者ではなく、世代的に少し離れた視点から映像化したということで、そもそもの最初から”さめた”視点で描かれた作品だ。脚本や演技のもつ、いかにも紋切型でどこかよそよそしい空気感というのは、たぶんそうした「当事者意識」の欠落に由来しているものだと思うし、またそれで良いのだとも思う。この映画は、もちろん当時の街並みや風俗を再現しようという試みとして非常に興味深くはあるが、作り手が求めている観客の反応は、「あの頃はこうだったなぁ!」という郷愁だけではなく、それよりもむしろ「このころお父さん(お母さん)はどんな風に生きていたの?」という関心を湧き出たせる点にあったのではないか。それも、まだ幼い子どもたちに対してではなく、もう一人前の大人の仲間入りを果たした世代に向けて、家族のあり方を再考し、自身の人生航路を描く上で父母や祖父母の生き様をよくよく振り返るように促したかったのではないか。

こんな風に評価するのは、僕がまさにそうした世代(ちょうど祖母を亡くしたばかり、父も来年をもって定年を迎える、しかし僕自身は情けないながらまだ自分の人生と社会とのかかわり方をはっきりと定められていない世代)だからだ。映画の作り手はもっと別の地点を見ているのかもしれないし、むろん、制作に関わった一人ひとり(原作の漫画も含めて)のそれぞれが、違う意図・想いを込めているのだろう。それらの想いを、50年前のことなんてほとんど関係がないと思うような若い人も、想像し理解しようと努める必要がある。ただ登場人物たちの言動のうち即座に共感できる部分だけを抽出するのではなく、当時がいかなる時代で、そこで自分たちの父母や祖父母がどのような苦難や喜びを味わいながら暮らしていたのか、その息遣いまでも含めて感じ取ろうとするならば、この映画が表層部分で表現していること以上のなにものかを、フィルムの中に見出すことができるかもしれない。


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それでは、今回はこれにて以上です。

なお、文中において何度か劇中のセリフを引用しましたが、記憶に従って書いているため、細かい部分での間違いがあるかもしれません。ご了承ください。

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