・はじめに

こんにちは。おはぎです。

今回の記事はツイッターで積極的に活動されている@FullHuRoさんによるものです。
アニメ作品に限らず、映画やマンガも含めて、その作品をわかりやすくするため、より面白がるために「〇〇(作品名)は〇〇だ」「〇〇さん(監督)は〇〇だ」とカテゴライズをする事があります。
例えば「らき☆すたは日常系」「エヴァはキングレコードアニメ」「新房監督はゴダール」とか。

今回の記事の趣旨は、こうしたカテゴライズする事を@FullHuRo さんは「(楽しむための)ラベル作り」と呼び、この楽しみ方を「ジュエルペット」や「そふてにっ」を通して、行う試みをしています。
アニメのさらなる楽しみ方の一つとして、@FullHuRo さんの試みをぜひご覧ください!

↓以下、フル・風呂さんの記事です↓

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●アニメ視聴における「楽しむためのラベル(枠)」とは…

今期(2011年4月~)のアニメは話題作、充実した粒ぞろいの作品が多い。そして今期は特に、2作品以上の作品を同時に観ていくことで、面白さが倍増する作品群の関係性が素晴らしいと個人的に感じている。

例えば、「杉田智和」のパロディ演技のヴァリエーションを楽しむなら『銀魂’』『スケット・ダンス』『俺たちに翼はない』、「BL/百合」テイスト全開の「スーパーヒーロー/ヒロイン」もの『フレッシュ プリキュア』『Tiger&Bunny』、「脚本:岡田磨里」連続アニメ小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『花咲くいろは』(と現在放送中の『GOSICK―ゴシック―』)等、人によってはそれぞれ組み合わせも違うし無数にあると思う(*1)。

また、放送形態を通じて楽しみが倍増する作品も多い。「ノイタミナ」、「ニチアサタイム」(特撮も混じっているけど)、「日5」等を通じてみるアニメ、「ニコニコ動画」で観る『日常』や『カードファイト・ヴァンガード』や、「Ustream」で観る『Tiger&Bunny』は格別だと感じている方もいらっしゃるのではないか。

私は、アニメ視聴者がアニメを楽しむ時に、原作媒体(ジャンプ・ガンガン等)や制作スタッフ、放送形態を通じて作品間で「楽しみのラベル(枠)」を意識的・無意識的に作っていると思う。私もまたそういった楽しみ方をしているわけだが、意識的に「楽しみ方のラベル」を作るよう努めている。

私にとっての「楽しみ方のラベル」とは「ブックマーク」のようなもので、アニメの楽しさの要素に文脈を作り、それを元に現在見ているアニメを考え・楽しみ、まだ観ていないアニメ(新作・旧作問わず)の意識付けや、以前観たアニメをもう一度楽しむための準備物だと捉えている。そして、「楽しみ方のラベル」をブログやtwitter等で公開することは、ある種の「興行」行為だと私は考えている。

長い前文を読んで頂きありがとう、そして(ry!ではでは『グラインドハウス』(2007年 本編監督:ロバート・ロドリゲス、クエンティン・タランティーノ)を通じて!?今期のアヴァンギャルド・アニメ筆頭『ジュエルペット・サンシャイン』と『そふてにっ』に「楽しみ方のラベル」をなんとか作ってみるぜ(正確性ポロリもあるよ!)。イエィ!よろしくっ!!

*ここから「リアル対象年齢 18歳以上、精神対象年齢3歳以上の作品レビュー」となります、予めご了承ください。


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●『ジュエルペット・サンシャイン』+『そふてにっ』=『グラインドハウス』!?

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 まず『ジュエルペット・サンシャイン』(以下『JPS』)『そふてにっ』を語る前に、『グラインドハウス』について説明しよう。

『グラインドハウス』とはロドリゲス、タランティーノ監督が主導となって「プラネット・テラー」(ロドリゲス)「デス・プルーフ」(タランティーノ)の本編と4本の嘘予告がセットとなった「ディストピア(悪所)精神」に溢れた「B級ホラー映画」のオムニバス映画だ。「グラインドハウス」自体の意味は、エクスプロイテーション映画(すなわち、客から搾取するかのように、エロ・グロ・ロック歌謡で釣る粗悪な商業映画)を2~3本同時に流す1970年代アメリカ映画の興行スタイルのことである。『グラインドハウス』は前期の映画スタイルや興行形式を再現しながら、作品を流すことに注力した映画だ。
 

「プラネット・テラー」は細菌兵器によってゾンビだらけに…という古今東西ゾンビ映画のテンプレに則りながら、ゾンビのせいで片足を失ったポールダンサーがマシンガンを片足に装着し『デスぺラード』(ロドリゲス監督作)シリーズよろしく縦横無尽に撃ちまくり暴れまくる、痛快「エログロナンセンス」×「ガンアクション」×「ゾンビ」映画だ!

「デス・プルーフ」は、所謂ビッチガールズが前半で怠惰なガールズトークを延々繰り広げているうちに、耐死仕様(デス・プルーフ)のスタントカーに乗った男に目をつけられ悲惨な死を遂げてゆく。後半、生き残ったビッチガールズ(スタント女優たち)の車がデス・プループに襲われ、スタントカーの「エロス・タナトス的運動」に巻き込まれながらも、次第にビッチガールズの、身を呈した「超スピード」の中で繰り広げられる痛快逆転劇が観る者を魅了する!

さて、ざっと『グラインドハウス』の概要を振り返ってみた!ここで、太字にした箇所に注目してほしい。『JPS』と『そふてにっ』をご覧になった方は、ピンと来ただろう!『JPS』は「プラネット・テラー」、『そふてにっ』が「デス・プルーフ」と共通点があるではなイカ!という疑惑っ……

 

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●「ジュエルペット・サンシャイン in グラインドハウス」―「サンリオ」×「スタジオコメット」について―

『JPS』はスタジオコメット制作「ジュエルペット」シリーズの三作目である。正直なことを言うと、私は「ジュエルペット」シリーズ前2作を観ていない。ただ、スタジオコメット制作アニメは「シャフトの新房監督、近年仕事多すぎじゃね?」同様の「スタジオコメット制作のアニメ、近年色んな意味でやばくね?」古くは1980年代の『ハイスクール奇面組』から、2000年代だと『スクールランブル』シリーズ、『おねがいマイメロディ』シリーズ、『セイント・オクトーバ』『ワンワンセレプー それゆけ!徹之進』『人造昆虫カブトボーグ V×V』等、そしてスタジオコメット主力スタッフが参加した『探偵オペラ ミルキィホームズ』と、各作品を楽しみながら、スタジオコメットの「毒のあるコメディ」には毎回感心させられた。今回の論では、「ジュエルペット」シリーズの文脈ではなく、スタジオコメット作品全体の文脈を主に使っていく。「ジュエルペット」シリーズのファンには申し訳ない!

『JPS』は、「夢」探しをテーマに据えた学園ものだ。しかし、これまでのスタジオコメット作品の主役ヒロイン像とは違う、黒髪ロングの(あくまで一見)クールビューティ:水城花音を人間側の主人公にした。水城花音の黒髪ロングは、『喰霊-零-』の諌山黄泉、『地獄少女』の閻魔あい、『一騎当千』の関羽雲長等、バンカラ・エログロナンセンス文化のクールビューティを彷彿とさせる(ここで挙げた例の異論は認める)。


上記の文脈を感じさせる花音の周りには、『スクール☆ウォーズ』の滝沢先生を彷彿とさせるイルカ先生(マジでイルカ)、名前と容姿から「スケバン刑事」80年代後半~90年代前半のアイドルカルチャーが凝縮された藍沢晶子がいて、二人は花音やジュエルランドの生徒たちを巻き込み、「熱血教師VSスケバン」バトル空間を1話丸々展開してしまう。ジュエルランドのジュエルペットや人間たちも、日本のバラエティ文化・アニメ文化に親しむスノッブであり、それが彼らの行動規範となり、アニメ本編は古今東西のパロディが咲き誇る。

また、「ジュエルペット」の原作の「サンリオ」と、アニメ制作の「スタジオコメット」についても触れておく。「サンリオ」×「スタジオコメット」の代表作といえば『おねがいマイメロディ』シリーズ(2005年~)である。「究極のユートピア(理想郷)」を理念にキャラクター「アニメーション」を多く生み出した「ディズニー」ブランドその、フォロアーであるサンリオ。しかし、スタジオコメットと組んだことで、「ユートピアとディストピア」が混在したキャラクター「アニメ」、「おねがいマイメロディ」を生んでしまった。

「マイメロ」シリーズから一年前にスタートした、ニチアサアニメの『プリキュア』シリーズ(2004年~)も『美少女戦士セーラームーン』『おジャ魔女どれみ』「平成ライダー」の流れにある、「ユートピアとディストピア」が混在した世界で戦う変身少女格闘アニメだが、「マイメロディ」シリーズの革新性は「全てのサンリオキャラクターが、何を言っても何をしてもよい権利を与えられた(作画・演出面でも)」「グッズ販促の為のバンクシーンを、どこでも使えるようにした」ことだろう(*2)。人間界とマリーランド界を混乱に陥れたマイメロやクロミの音譜集め。音譜集めに振り回わされる二つの世界の住人たちの右往左往と友情・私利私欲を巡った闘争(小暮&フラット、王様VSドリアン大臣等)は、「全てのサンリオキャラクターが~」「グッズ販促~」の制作方針が無ければ、パロディ要素を多分に含んだ「毒のあるコメディ」『おねがいマイメロディ』にならなかったはずだ。

スタジオコメットは上記の方法論を『徹之進』や『カブトボーグ』で推し進め、「サンリオ」との第二の共同作「ジュエルペット」シリーズに持ち越すことになる。

そして、「プラネット・テラー」の映画ジャンル「ゾンビ」映画を思い出してもらいたい!ゾンビ映画における「ゾンビ」もまた、「ゾンビであれば、どこにいても・何をされても・どんな姿になっても・何をしても許される」存在だ。ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』が都市文化に根差したゾンビ映画の型を作ってから、走るゾンビ(『ドーン・オブ・ザ・デッド』『28日後…』等)、武器を持つゾンビ(『ZON 261』『屍姫』『喰霊』等)、人の形をなくしたゾンビ生命体(『バイオハザード』等)、人体破壊されても身体があればゾンビ活動ができる(『バタリアン』等)、家畜のちに日常生活するゾンビ(『ゾンビーノ』『これはゾンビですか?』)と、様々なゾンビが世界各地の映画・ドラマ・アニメ等に現れた(ここで挙げている作品はほんの一例です、注意されたし)。

「ゾンビ」のイメージが持つフリーダムさは様々な媒体で培われ、他ジャンルにも波及した。そして「サンリオキャラ」のフリーダムさは、スタジオコメットを中心に短期間で培われていき、他社アニメ作品にも影響を与えてゆく。スタジオコメットもまたB級キャラクターアニメの「グラインドハウス」と化していた…


●ロバート・ロドリゲスと稲垣隆行の奇妙な共通点―あるいは、「プラネット・テラー」『JPS』の「動的な」「夢」について―


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ようやくここで「プラネット・テラー」と『JPS』の核心に迫る、ロバート・ロドリゲス監督と稲垣隆行監督の奇妙な共通点を、フィルモグラフィティの側面から記していきたい。 

1.     ロドリゲス監督のデビュー作はラテン・ウエスタンの『エル・マリアッチ』(「デスぺラード」シリーズの前身)。稲垣監督の監督デビュー作は、関東大砂漠の賞金稼ぎを描いた『砂ぼうず』 

2.     ヴァンパイア・ハンターもの『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(ロドリゲス監督)と、学園「ヴァンパイア」ラブコメバトル『ロザリオとヴァンパイア』(稲垣監督) 

3.     CGバリバリ、スパイ映画オマージュメインの「キッズ向け」映画『スパイキッズ』(ロドリゲス監督。「スパイキッズ」シリーズのCGノウハウが『シンシティ』「プラネット・テラー」に生かされることになる)。CGアクションもバリバリ使うTV番組オマージュメインの「キッズ向け」アニメ『JPS』(稲垣監督)
 

両監督のフィルモグラフィティの要所の一致は注目に値する(上記の詳細は、今回割愛させて頂く)。また、作家性にも共通点があり、B級ジャンルを偏愛し、動的なフィルムを志向し、感性を揺さぶる劇伴への拘りがある(ロドリゲス監督は自ら作曲。稲垣監督はハリウッド映画音楽をわざわざ引用する。『JPS』4話のシュトラウス「美しく青きドナウ」、7話のエアロスミス「I Don't Want To Miss A Thing」)。
 

ロドリゲス監督の一つの頂点「プラネット・テラー」と、現在快進撃を繰り広げている『JPS』が作品内で大事にしているのは「動的な」「夢」である「動的な」「夢」とは「ユートピアとディストピア」を突き抜ける人物の画面の動き(あるいは台詞)そのものである。両作品ともジャンル的には何をやっても許される状況だが、画面の人物が持つ「動的な」「夢」を発現させるために、B級的なモチーフのディテールに手を抜かず、B級的画面の質感が爆発的に積み上げられていく先にある快感を優先する。


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「プラネット・テラー」であれば、セックスシーンは欠番し、脳梁が染みついたような暗さをもって劣化した、場末のフィルムの存在感。登場人物の馬鹿カッコいい銃の構え方とガンアクション、その先にある滑稽な死の円環。カメオ出演で悪人を演じるブルース・ウィルスとタランティーノの、強烈な悪人面と終盤の急展開でゾンビ化する様。ゾンビトラップの御約束と共に現れる「引き金=舞台装置(バイク・車等)」と接する肉体の緊張感とエロス。そして、主人公チェリー・ダーリンの、映画冒頭のポールダンスと中盤のマシンガン義足で戦うとき、足さばきの艶やかさで一致し、画面ではCGによる玩具的で重厚な質感を持ったマシンガンが乱舞してゆく快感に、「動的な」「夢」を作ろうとする。


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『JPS』においても、毎回「動的な」「夢」によってAパート・Bパート共に濃密なつながりを見せる。印象的な第2話・第3話・第7話を振り返ってみたい。


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第2話「ラブラとエンジェラがイェイッ!」(Aパート)ではジュエルペット:ラブラの魔法が暴走して逆さの世界になり(画面も重力をもって反転したカットになる)、ジュエルペットたちがグラウンドで間髪入れず「魔法バンクシーン」を伴っての暴走を繰り広げ、ラブラは怒髪天に達したジュエルペット:エンジェラに宙に飛ばされる。


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「ひなたとペリドットもイェイッ!」(Bパート)では、「脳筋」ジュエルペット:ぺリドットと本が好きで運動嫌いの浅香ひなたの交流が描かれる際、Aパートにおける「グラウンドでのジュエルペットの暴走」が「ぺリドットとひなたの中々かみ合わない逆上がりの特訓」に、「逆さの場面と宙に打ち上げられる画面イメージ」が「ひなたが逆上がりしたときに、目の前に広がった青空」と「動的な」イメージの変換のダイナミズムが、AパートとBパートで描かれる「友情」に強烈なコントラストを生みだす


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第3話「ガーネットがんばるイェイッ!」(Aパート)ではファッショナブルな女優を夢見るジュエルペット:ガーネットに対する、花音の口癖「小林幸子」の一言を逆算するように、ガーネットがファッション大会を曲解したまま参加するなかで「欽ちゃんの仮装大賞」「志村けんのバカ殿様」「紅白歌合戦」のパロディが画面展開に詰め込まれる。そして、CGで再現された小林幸子的巨大ガーネットの上で、ガーネットが鼻血を出すほどのノリツッコミをする為に大きく飛翔する爆発的なイメージに至る。


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「誰かが私を・・・イェイッ!」(3話Bパート)では、ジュエルペット:ルビー白石御影への片思いが高まる中、「ガーネットがんばるイェイッ!」におけるコンテストの「観客の視線」とガーネットの「鼻血」が、ワニ山ガクトの「ルビーへのストーカー的視線」と「ルビーを愛するが故に、食べたい衝動に満ちた唾液」に変換され、『魔法少女まどか☆マギカ』の「マミる」を彷彿とさせるホラーが口を開けて待ちうける。「動的な」「夢」が暴走することによって生み出される、喜怒哀楽が詰まった回だ。


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第7話「サンクスジュエルデーにイェイッ!」は終盤のエアロスミス「I Don't Want To Miss A Thing」が使用されたことで話題になったが、「めちゃイケ」や「ロンドンハーツ」といった、過激な大仕掛けで視聴者を笑わせようとする、バラエティ番組のオチで流れる楽曲の使用方法と同じであることが笑いの拍車を掛ける。7話冒頭から「サンクスジュエルデー」とそれを執行する謎の黒子オヤジ達は「ダウンタウンのガキ使いやあらへんで!!:笑ってはいけないシリーズ」を彷彿とさせ、ジュエルランドの原住人に楯突いた花音たちを収監したジュエルポット工場の番人たちが「BOSEの○○タイム」のシチュエーションだということを示し、工場廊下の天麩羅屋台に群がるジュエルペットたちは「めちゃイケ:やべっち寿司」に出演するタレントたちの悪態と同じ姿でさらされる。第7話は「バラエティ番組の論理」で支配されているが、バラエティ番組もまた「ユートピアとディストピア」が渦巻く場所であり、ちゃぶ台返しとして爆発やネタばらしが使われる「動的な」「夢」と密接な関係がある番組形式だ。『JPS』7話は容赦なくバラエティ番組の要素を詰め込み、ジュエルランドが「ユートピアとディストピア」が渦巻く世界だと明示したうえで、ちゃぶ台返しとして大爆発と共にエアロスミスを流す!「動的な」「夢」を全面的に肯定する為の回である。


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ロドリゲス監督と稲垣監督は、ニッチのジャンル映画・アニメの粋(いき)を「動的な」「夢」に求めるもの同士だ。そして、彼らは「動的な」「夢」を追求する登場人物に対してどこまでも誠実だ。


 ●「そふてにっ in グラインドハウス」予告編 ―次回記事のヒント―


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さて、お待たせした『そふてにっ』と「デス・プルーフ」との繋がりに関してだが、次回の記事で改めて紹介させて頂きます。申し訳ないっ!ただ次回記事のヒントになるキーワードを列挙していこう。

アニメ界のタランティーノ:上坪亮樹

テニスコートと美少「女」の論理

ここまで読んで頂いた読者の皆様、ありがとうございます。「ジュエルペット」「そふてにっ」ファンの皆様、やきもきさせる記述ばかりでごめんなさい! ご批判・ご指摘はしっかりと承ります。アニメの「楽しみ方のラベル」は意見交換しながら作っていくものだと感じておりますので、どうかよろしくお願いします。次回記事もお楽しみにっ!(coming soon…)

(注) 


(*1)個人的に一押しなのは、『へうげもの』『青の祓魔師』『花咲くいろは』を「真下耕一カラー「へうげもの」/岡村天斎カラー「青の祓魔師」/安藤真裕カラー「花咲くいろは」に介入する真下・岡村カラー」という視点で見比べることである。黄色や紫等の奇抜な組み合わせが映像に映える真下作品と、緑と桜色を中心に真下カラーと共通点がありながら独自の世界観を作る岡村作品、作品モチーフの「赤」と「青」に拘りを注ぐ安藤作品。「花咲くいろは」7話では、安藤カラーに真っ向勝負する岡村カラー(7話絵コンテが岡村天斎)とジワリと覆い尽くす真下カラー(7話演出が「真下組」の守岡博)のアンサンブルが非常に面白い。

(*2)2006年の『銀魂』で「子供向け販促アニメのフォーマッド崩し」は完成形を見る。アニメにおける「フォーマッド崩し」のルーツをさらに遡れば、『こどものおもちゃ』(1996)『こち亀』(1996~2004)・『デ・ジ・キャラット』シリーズ(1998~)・『ギャラクシーエンジェル』シリーズ(2001~)等に見出すことができるだろう。

・おわりに

またまた、おはぎです。@FullHuRo さん、ありがとうございました。
上坪さんをタランティーノって「ラベル付け」するあたりが、@FullHuRo さんらしくて面白いです。
こうした「ラベル付け」の楽しみ方のポイントは、当たってるか当たってないかが重要ではなく
個人の映像体験・読書体験をうまく歴史化・体系化していく事だと思います。
人とは違った「ラベル付け」も楽しいですし、むしろそこに醍醐味があります。
またこの記事は後半へ続くので、ぜひ期待したいですね。

また、@FullHuRo さんは今後アニプレッションを拠点として、活動していく事になりました。
今後も面白い記事をお待ちしているので、よろしくお願いいたします。