はじめに
 
今回の記事は、@FullHuRo (フル・風呂) さんの寄稿です。
まさか、前日にお願いしてこの内容!流石です!!

2000年代のアニメの新たな可能性を提示した「ゼーガペイン」
2010年代のアニメの新たな可能性を提示した「Rio」
それぞれの作品に対する愛情溢れる内容、そして個々の描写一つ一つの意味を丁寧に考察した
フル・風呂さんの渾身の記事をぜひご覧ください。(おはぎ)


↓以下、フル風呂さんの記事です↓
 

*ネタバレ有ですが、これから『Rio』『ゼーガペイン』を観られる方の導入編、また片方・両作品観られた方への再導入編となるように書いた記事です。アニメ表現の「イメージ」を巡る内容となっております。

 

 ●ソゴル卿「消されるな、このRioっぱい。忘れるな、その膨らみ」リオ「はい。お客様が、お望みであれば」

 

20111月、現在もネットを中心に一大ブーム中の『魔法少女まどか☆マギカ』の放送がスタートした。毎日放送(MBS)での『まどか』先行配信が週を増すごとに視聴者の熱が増す中、同時期に『Rio Rainbow Gate!』は放送を開始した。


毎日放送において『まどか』の次の時間枠で放送されたRio(TOKYO MX先行放送)は、『まどか』視聴者による幾多のネット言説・二次創作の波に呑まれた。BD/DVDの売上は約100倍の差がつき(*1)、『Rio』は「もう、忘却されてもいいんだよ」という空気にさらされているのが現状だ。


『まどか』は<「新房シャフト」ブランドの文脈><「蒼樹うめ」キャラとその内容のギャップ><虚淵玄による、平成ライダーと魔法少女の存在論を掛け合わせ、総括したハードなストーリー><『lain』から圧倒的なアニメーションで、度々ジュブナイルもので話題作を作り続きてきた、アニメキャラデザインの岸田隆宏><梶浦由記による少女「NOIR」を彩る音楽><二次創作・グッズ消費・評論活動>等数え切れないほど「深い」語りの切り口が用意されている。
 

一方『Rio』はというと<原作が「コーエー・テクモ」プロデュース「NET」のパチスロ機><制作XEBEC 監督:加藤誉夫による1期『To Love- とらぶる-」路線><井上麻里菜・たかはし智秋・竹達彩奈等の女性キャスティングの楽しさ><EDが『侵略!イカ娘』主題歌を担当したULTRA-PRISM>といった「享楽」的要素が目立つ。

ストーリーも、カジノで働くリオたちが、オーナーのハワードに振り回されながら「ゲート」と呼ばれるカードを巡って刺客たちとお色気ありのバトルがメインだ。筆者の私も、享楽に身を委ねて楽しみ、ラストの「世界同時ラッキー」でひっくり返ったものの、『Rio』には享楽的要素は見いだせても「深い」語りの切り口が見いだせなかった。


ところが『Rio』終了後から1カ月が経ち、考えが一変した。きっかけは、アニメ専門チャンネル「アニマックス」で『ゼーガペイン』の再放送を見返したときである。『ゼーガペイン』と『Rio』を結ぶもの、スタッフ的には脚本の関島眞頼さんと声優の井上麻里奈さんだ。この少ない要素で、両作の共通要素が大きく作品に現れることはないと普通なら思うはず。しかし、『ゼーガペイン』と『Rio』はOPの時点で両作品とも根幹で繋がっていることを映像で主張していたのだ。

 

この内容の続きは↓


●ハワード「ありえん!ありえ~ん!」キョーコ「うん」リオ「はい」

 

Rio』のOPの冒頭で印象付けられるのは、リオのロールルーラーによる花の蔦・記号・トランプの乱舞だ(CG担当は『TIGER&BUNNY』等のサンジゲン)CGアニメーションによるイリュージョンはOP終了まで継続する。本編『Rio』もまた「ロールルーラー」=「CGのイリュージョン」がさも当たり前のように機能して、ポーカーの引きを左右し、6話では暴走リンダをリオがロールルーラーの力でハッキングするという荒技、そして最終回の「世界同時ラッキー」が驚きと必然の展開をもって起きてしまう。デジタル的なイリュージョンの洪水の中で展開されるエンターテインメント、それが『Rio』の世界である。
 

『ゼーガペイン』のOPもまた、デジタル的なイリュージョンのイメージが最後まで紡がれてゆく。OP冒頭の花は幾多の花弁を散らして枯れ、ミサキ・シズノとカミナギ・リョーコは水鳥の群なって羽ばたき、ソゴル・キョウは海のイメージ背景に魚群となって泳ぎ始め、花畑に寝そべったミナトは蝶の群れとして拡散する。CGで描かれるロボット・ゼーガペインは彼・彼女らのイメージを凝縮したフォルムで飛び立つ。イメージの群れと拡散が主にCGで描かれた、幻想的なOP映像だ。

『ゼーガ』の主人公たちは幻体と呼ばれる、人間の実体を亡くし、量子サーバーの中でデータ人格記憶体として生きるものたちだ。ナーガによる「無限進化」計画のために人類が滅亡し、量子サーバーで幻体として生きるキョウたち。ナーガの意志を継ぐガルズオルムから、残された大切な人を守るため、再び実体を取り戻すためにキョウたちはサーバーの世界・破滅した現実世界を行き来しながら戦う。

本編『ゼーガ』では、キョウがサーバー世界と破滅した現実世界を行き来する描写で水(プール・水溜り・川)が媒介に使われ、戦闘の影響によるサーバー世界のバグやデジャヴュ、CGメカバトル等、デジタル的なイリュージョンの中で懸命に生きようとするキョウたちが描かれている。
 

Rio』と『ゼーガペイン』を結ぶもの、それは「デジタル的なイリュージョン」が存在し登場人物に介入する世界観だ。暴論になるかもしれないが、『Rio』は『ゼーガペイン』の世界論理で作られた作品で、その監督はカミナギ・リョーコなのだ!!!ここで「ありえねー!」と叫ぶのが、訓練された『ゼーガ』ファン。しかし『ゼーガ』ファンなら思い出して欲しい、ラストの舞浜の海と青空、リョーコの夢だった「大映画監督」のことを。

 

 

●謎の声「ミテイルセカイヲシンジルナ」リオ「はい」

 

 ここで、『Rio1話「ゴッデス オブ ヴィクトリー」振り返ってみる。1話冒頭は、ハワード・リゾートの海上ハイウェイに広がる、青空と海。この爽やかな背景の中で、ホテルで寝ている美女の下着姿がさらせれ、ワインピンクの髪が特徴のミントがクマ人形のチョコを携えてハワード・リゾートの探索を開始する。

が基調の大人の娯楽街:ハワード・リゾートを「退屈」と度々口にしながら探索を続けていたミントは、巨大モニターに一瞬映ったであろう「勝利の女神」が気になり始める。時を同じくしてワインレッドの髪の女性ディーラーが、客が殺気立ち始めた青カーペットの一般カジノフロアに降りてきた。「勝利の女神」と呼ばれる彼女、リオは緑のカジノテーブルやスロットやカップルをフィーバーさせてゆく。

「勝利の女神」の噂に導かれリオと同じカジノフロア来たミントは、リオとの運命的な出会いを果たす。リオのオーナーであるハワードが、ミントのお爺様であるクラークと知り合いであり、ミントの付き添いとしてリオが付くことになり次第と仲が深まってゆく。しかし、何故かミントのクマ人形を狙うオーリンの刺客が二人に襲いかかる。リオは条件付きでオーリンのポーカー直接対決に挑む。リオの青いオーラを纏って発動したロールルーラーが会場を包み、オーリンのポーカー対決を結果・イメージ対決両面で制した。ベルギー製のクマ人形だと思い込んでいたオーリンの心を打ち砕くチョコの「メイド・イン・チャイナ」、リオの敗北公約である「裸」がチョコのスカート破りである意味実現してしまったところで1話の幕が閉じる。
 

長々と振り返ったが、ここで『ゼーガ』と絡めて話題にしたいのは、ハワード・リゾートの風景と顔ぶれ、=RGB」のイメージに関して。『Rio』には『ゼーガ』のイメージが溢れかえっている。ハワード・リゾートの風景は『ゼーガ』のキョウたちが最終回で勝ち取った、本物の舞浜の海の風景と似ている。『Rio』で描かれた最後まで何処か涼しげな初夏の季節感と巨大デジタル画面が頻出する風景は、『ゼーガ』の舞浜サーバーの4カ月ループの世界とリンクする。

Rio5話以降に出てくる「スカイリゾート」は、『ゼーガ』の「オケアノス」的な趣だ。『Rio』の重要な回想シーンが主に冬なのは、『ゼーガ』終盤のシマ司令のオリジナルデータ人格「僧」とキョウとの出会いの場を想起させる。ハワード・リゾートの顔ぶれで驚くべきはリオで、『ゼーガ』のシマ司令と似たボブ・ショートとクールさ、ミナト(声:井上麻里奈)の声とハーフな見た目、キョウと似た赤髪で本質的な優しさ・機敏さを併せ持った理想の人物像だ。イル/エル・アダムスは美雨・美炎、リナはルーシェンとアビス/シン、ティファニーとローザにはシズノ先輩の面影が見出せる。ミントは『Rio』において世界を覗くカメラのような役割だったが、ミントのクマ人形チョコはカメラで、『ゼーガ』のリョーコのポジションなのかもしれない。


Rio』における「RGB」の世界観における役割は、『ゼーガ』の「RGB」の使い方と似た性質を持っている。『ゼーガ』におけるは、プールやエンタングル時のアイコンやオケアノスの内装等に見出せる。世界と対峙するための色として使われる。『ゼーガ』におけるとは、現状認識の色だ。ソゴル・キョウ機ゼーガペインのパーソナルカラー、舞浜サーバーが虚実であることを示す黒板や外観に緑が見出せる。『ゼーガ』におけるとは、キョウの髪の色と夕日だ。キョウは夕日のたびに感情が高ぶり、の世界と対峙するのだ。

Rio』におけるとは、ハワード・リゾートの基本外観や内装、リオのロールルーラー発動時のオーラ等に見出せる。爽やかなは、バトルフィールドの裏返し。『Rio』におけるとは、偽りや罠が込められている。カジノでキャラクターが見得を切るときに移り込む植樹、カジノテーブル、よく「マミる」リンダのエメラルドグリーンの髪、リオのロールルーラーの蔦。何かの思惑が常に渦巻く。『Rio』におけるとは、リオのワインレッドの髪やミントのワインピンク、ティファニーのビキニ等。を持った彼女たちが、バトルと策略が渦巻くカジノとゲートバトルをハッピーの価値観へと変えていく。大雑把に『Rio』と『ゼーガ』の風景と「RGB」三原色について振り返ってみたが、両作品とも本質はぶれていないと思う。両作品が「RGB」を意識したことで、世界がデジタル技術のスクリーンで再生されるメタ構造に自覚的だ(*2)

 
 

●アニメに秘められた、「森羅万象(ありとあらゆるもの)」と「世界同時ラッキー」

 

やはり『Rio』と『ゼーガペイン』は本質的に似ている。Rio』はカミナギ・リョーコが実体を取り戻したソゴル・キョウの為に作った、世界を「リザレクション」するエンターテインメントだといっても違和感がないはず()Rio』の自由奔放さは、『ゼーガ』世界の基準で考えれば何も問題はない(『ゼーガ』の無情な一面を知っている筆者は『Rio』のあっけらかんとした答えに救われた)

Rio』が『ゼーガ』の延長上にあることは、冒頭の風景、スタッフであればシリーズ構成の関島眞頼さんと声優の井上麻里奈さん、プロップデザインに寺岡賢司さんを据えてハワード・リゾートをSF的なデザインにしているところなど数多くのヒントがあった。しかし、本放送時には殆ど誰も『Rio』と『ゼーガ』の繋がりに気がつくことができなかったはずだ。


一方『魔法少女まどか☆マギカ』は本放送中から「平成ライダー」文脈、そして「エヴァ/ヱヴァ」文脈など賛否両論問わず様々な解釈が行われてきた。ようやく『Rio』のルーツのひとつに『ゼーガペイン』を発見できたこと。『ゼーガ』もまた「エヴァ/ヱヴァ」の物語・方法論に一つの答えを出した強度のある作品だ。『まどか』のルーツに負けないカードを『Rio』は隠していたし、「世界同時ラッキー」で一瞬それをちらつかせた。『まどか』の視聴者対作品における解釈ゲームはまだ白黒がついていないが、『Rio』の解釈ゲームは視聴者側に大敗を一度喫したことは皆肝に銘じてもらいたい。ただ、「そんなことは気になさらないで、お客様」(byリオ)と素直に楽しめるのも『Rio』の魅力だ。


今回は『ゼーガペイン』を中心に『Rio』を再解釈してみた。しかし、まだまだ解釈の余地はある。アニメ『Rio』の監督である加藤誉夫さんが10年前MBSで『ゾイド-ZOIDS-』を作り『ロックマンエグゼ』シリーズも『ゼーガ』以前に作ってきた、という視点からも解釈できる。関島眞頼さんの他の脚本作からも、色のモチーフ・声優の歴史・美少女アニメの文脈などでも捉えなおすこともできる。なにも、新房さんや虚淵さんあるいは岡田磨里さんたち、一大ブームを起こした作品だけが強固なモチーフやイメージを持っているわけでもないし、互いにモチーフ・イメージを共有して折り重なった表象の一つが、アニメとなって私たちに差し出されている。各アニメ作品にある「森羅万象(ありとあらゆるもの)」を、情動に突き動かされたいという「憧れ」を持って隔たりもなく観ることが「世界同時ラッキー」につながることだと、『Rio』と『ゼーガペイン』を見返し途中にある筆者が思うこと。

 

(*1) http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1865.html

 

(*2) 例えば『Rio』において、リオが広告塔として各地の巨大スクリーンで至る所に出没し、「世界同時ラッキー」の伏線として機能している。『ゼーガペイン』においては、「RGB」三原色が画面に隣接するときは非常に虚構めいた(カメラ越しの)画となる。

 

@FullHuRoさんありがとうございました!!