平成23年4月17日、アニメーション作家・監督の出崎統さんが亡くなられた(享年67歳)。
この報を知った時は仕事中だったが、激しく動揺した。心が平静を保てなかった。
出崎監督はアニメーションの表現の革新に常に挑み、数々の技法を作り上げ
傑作・名作を数多く世に送り出し同業者や後進に絶大な影響を与え続けた。

最近、私が見ているアニメ「戦う司書」。
この作品の監督、篠原俊哉さんも出崎統監督の弟子筋にあたる人である。
他にも出崎監督の薫陶を受けた方々は、業界で活躍されている。

私は子供時代、出崎監督の作品の多くに触れていたと思う。
「ガンバの冒険」「ベルサイユのばら」「宝島」「あしたのジョー」
「家なき子」
「ルパン三世TVスペシャル」「ブラックジャックOVA」等々
これらは全部、再放送で見ていた。もちろん出崎さんが監督だとは全く意識せずに見ていた。

どの作品も強く強く印象に残った。
「ガンバの冒険」は宿敵ノロイの恐怖感とノロイに立ち向かうガンバ達の友情と結束を。
「家なき子」は旅する事の辛さと困難さと達成感を教えてもらった。
「ベルサイユのばら」ではオスカルの悲劇的な最後に子供ながら泣きそうになってしまった。
私がアニメを好きになったのも、ちっちゃな時からこうした出崎作品に触れたからであり、
私の情操にも大きな影響を与えてしまったのだと思う。

今回の記事では、出崎監督について語ってみたい。
ただ私より出崎さんを語れる人は、たくさんいらっしゃるので
今回は出崎監督の影響を受けた、富野由悠季節監督の著述を引用しながら
いち富野ファンから見た出崎監督を追いかけたいと思う。
 

① 出崎氏と宮崎監督、押井監督

出崎監督はカッコイイ表現を数々作り上げてきた。(この説明はwikipediaに詳しい)
特に3回繰り返しPAN。透過光。ハーモニー処理等々、
今でもこれらの手法が使われたら、ほぼ出崎監督の影響(パロディ)である
可能性が高いといってもよいだろう。

そんな出崎監督はとにかく、表現手法を含め同業者への影響がすさまじい。
まず押井守監督は出崎監督の「エースをねらえ劇場版」を何度も見る事で、
アニメの演出の仕方を学んだと語っている。
「エースをねらえ劇場版」は他にも庵野秀明監督や幾原邦彦監督がその影響を公言している。

庵野監督は「スキゾ・エヴァンゲリオン」という本のインタビューで
「旧エヴァ」を制作する時、その当時(1990年代前半)面白かった作品として
「美少女戦士セーラームーン」「機動戦士Vガンダム」と共に
出崎監督作品の「おにいさまへ」を挙げている。

また出崎監督は宮崎駿監督とも縁がある。

wikipedia「出崎統」によると

出﨑が絵コンテマンとして制作した絵コンテが他者によって改変された事例もいくつか存在する。『ルパン三世』(テレビ第1作)第13話「タイムマシンに気をつけろ!」では、宮崎駿と高畑勲による改変を受けた。もっとも、同作の作画監督を務めた大塚康生によると、宮崎と高畑は基本的に「出﨑の絵コンテのままでも面白いから放っておこう」とのスタンスだったらしく、絵コンテ自体はあまり変えずに作画段階でニュアンスを変更した部分が大きかったという。

高畑・宮崎氏は他人が描いた絵コンテをまるまる改変する事で有名だ。
後述する富野由悠季監督も高畑・宮崎アニメの「アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」などで
絵コンテを描いているが、ほとんど直されてしまったという。
一方で、出崎監督のコンテはwikipediaの記述にみるように直されなかった点を見ると、
出崎氏のコンテのレベルが高かった事がわかる。

また、ソースは無いのだが、出崎監督と宮崎監督は交流もあったという話も聞いた事がある。
これは東映動画出身者(宮崎駿・大塚康生)が虫プロ作品・出身者(出崎)を忌避する傾向がある中で
特筆すべきことであり、それだけ出崎監督のセンスを宮崎氏らが認めたということだろう。

まとめれば、名の知れた大物監督達に対して、多大な影響や敬意を払われている事がわかる。
そんな出崎監督の手法を一言でいえば、スタイリッシュな表現を目指した方であるといえよう。


② 富野由悠季への影響

出崎監督は手塚治虫の虫プロダクション出身である。
そして同じ虫プロ出身の富野由悠季監督には強い影響を与えた。
私見であるが富野監督に強い影響を与えたアニメ監督は
高畑勲監督、長浜忠夫監督の他に、出崎監督が挙げられるだろう。
ここでは、富野監督の著述から、出崎監督がどう富野監督に影響を与えたかについてみてみる。
以下、3点の著述から引用を紹介する。

(あしたのジョーに参加した事について)これも途中から参加させてもらった作品で出崎統(現・さきまくら)監督のデビュー作でもある。テレビ・アニメ界が育てた新人監督である出崎統のスタイルは華々しく、その才能に圧倒された。僕より若いのにシャープに人の生理を演出した。だから、監督の生理と感性を盗もうとマネを試みたが、とうてい太刀打ちできなかった。

(中略)

十四本のコンテをきらせてもらったが、監督は僕のコンテをよく我慢してつかっているということがわかるから、監督にあわせたいと思ったのだが、結局、他人の感性現われ方をマネることなど金輪際できなかったと思った。最後は、彼がすべてのコンテをきってしまい、以後このスタイルをとおしている。それもシリーズ・アニメの演出家のあり方で、一つの見識であると信じている。

(中略)

結局は彼のようになるか、別の対処の仕方をするしかないと知った
富野由悠季「だから僕は」(角川スニーカー文庫より)

「あしたのジョー」は出崎監督の初監督作品である。
この初監督作品なのに先輩の富野監督は、太刀打ちできないと語る。
つまり出崎監督は、最初から出崎監督だったのだ。

ぼくの場合は、このコンテの加筆修正をすることで、創作上のワーキングの大半が終わる。なぜなら、コンテでフィルムにあらわれる表現の70パーセントを支配してしまうのだから、終わったとするのだ。
(中略)
この数字については、※さきまくら(『あしたのジョー』『エースをねらえ』の総監督)と確認したことがあるのだが、演出の立場でいえば、どんなにアニメーターが優れていても、現場の演出処理が優れていても、コンテがダメなら評価される作品にはならない。
※さきまくら=出崎統 富野由悠季「ターンAの癒し」(ハルキ文庫より)

この時期の富野監督はさすらいの絵コンテマンとして、様々な作品で仕事をしていた。
その中で出会った作品の一つが「あしたのジョー」であり、出崎監督だった。
そして富野監督は出崎監督の出会いにより、
極論に言えば「動かさなくても、アニメは映画になれる」事を学んだ。

そんな富野監督は「アニメが映画になる事」として絵コンテの重要性を挙げる。
つまり上記の引用を用いるなら、アニメの出来はコンテで7割決まるという事だ。
そしてその事(数字)を出崎監督と確認したわけだ。
つまり、全て同じとは言わないが富野監督と出崎監督は
絵コンテの重要性についてはお互い意見が一致しているのだ。
そして同じ立場にいて、遥か先に絵コンテ主義を実践した存在として出崎監督がいたのだ。

アニメーターでありながら映像作家でありたいとする演出家に初めて出会ったのがさきまくら(出崎統)だった。その部分でショックだったということです。ライバル意識というものじゃない、何よりもアニメーター出身の演出家が必ずしもアニメの演出家に適しているかというとそれは少ない。それなのに彼は映像指向、映画を作るというスタンスをきちんと持っていたのが、とにかく意外だったんです。それと、自分がやっつけ仕事みたいになっていた部分と、TVシリーズってこんなもんだろうとビジネス的に妥協した気分でやっていると、すごく損するよということを彼から教えられました。つまり作りたい意志を持っていれば、TVシリーズであっても、極度の枚数制限をかけられた作品であっても、それなりの作品になるという可能性を見せてもらった。だから初めこそ自分より年下ですし、生意気な奴だと思っていたのですが(笑)、フィルムを何本か見せられていくうちに、やはり彼の技法みたいなものは盗むまでにはいかなくても、わかるようになりたいというのがあった。彼には僕のコンテがかなりやっつけ仕事に見えたようで、かなり直されたけど、それでも演出の処理までやって、技法みたいなものを盗みたいと思ったので、ある時期から何本か演出もさせてもらいました。その後のリミテッドアニメを作っていく上での、最低限の技法みたいなことも教えてもらった。極端に言うと、全部止めの絵でも映画的に流れて見えるような作り方は出来ないものか。そういうことです。動きではなく、映像としての流れがどういう風に構築出来るのか。基本的センスは圧倒的に隔たりがありますが、考えみたいなものは教えてもらったと思います。
「富野由悠季全仕事」(キネマ旬報社より)

上記の引用はインタビューなのだが、富野監督の出崎監督の評価を全て言い表わしたものだろう。
上記の発言を見れば、富野監督の出崎監督への評価は絶大といえる。
富野監督が中々他人を褒めないのは有名であるが、出崎監督については絶賛状態である。
(他に富野監督が出崎監督レベルで褒めるのは、宮崎駿・高畑勲・杉井ギサブロー監督ぐらい)
それだけ出崎監督の仕事ぶりが鮮烈だったのだろう。

もし富野監督と出崎監督が出会わなかったら、今の富野監督は無かったのかもしれない。
ガンダムも無ければ、ザンボット3も無かったのかもしれない。
そんな事を想像できるほど、出崎監督は富野監督に影響を与えているのだ。


③ 最後に

出崎監督はあの世へ旅立った。悲しい事かもしれない。

しかい出崎監督は旅する人である。
いつも「男とは旅するものだ」をテーマに作品を作り上げてきた。
私は「劇場版AIR」の監督を出崎監督が引き受けた事に多少驚いたが、
主人公の国崎行人がをしながら生きていく設定を知って、
監督は興味を持ち作品を手掛けようとしたのではないかと思っている。
そんな出崎監督はついにあの世へと旅立ってしまった。

私はアニプレッションvol1という本の「座談会」のまとめで
2010年代は業界の世代交代が進むと書いた。
これは出崎監督のような業界をけん引した方々の死を想定して書いたものだ。
去年は今敏監督は飯田馬之助監督が逝去された。
そして、アニメ業界草創期から活躍された高畑・宮崎・富野・りん・杉井と
いった方々はより高齢に突入する事になる。
ここ10年はこうした出崎監督の死のような体験を多くするのではないかと思っている。

しかし出崎監督。あなたは死ぬには若かったと思う。だから、その訃報には衝撃が走った。

でも出崎監督は旅をせずにはいられない人だった。
旅をしたかったから、人よりはやく違う世界へ旅だってしまったのだろう。
そして監督は旅だったが、作品はいつまでも残る。だから監督はこの世界にもいるのだ。
そう信じて、出崎統監督のご冥福をお祈りします。



このOPをみれば、いつまでも出崎監督を感じていられます。