「のんたんのanime大好きブログ」において感想を書かせていただいている、のんたんと申し上げます。

 現在放送中の「STAR DRIVER 輝きのタクト」ですが、第6話においてスガタがアプリポーゼすることによってストーリーが大きく動くことになりだんだんと面白くなってきましたが、当初から

・銀河美少年とは何か?
・タクトのおじいちゃんとはいったいどういう人なのか?
・綺羅星十字軍の本当の目的は何か?
・そもそも十字島とは何の島なのか?

など、なかなか設定を理解することができずに疑問点を残してしまいながら次のストーリーに進んでしまっているにも関わらず、なぜか期待を寄せながら視聴を継続したいと思ってしまうのです。

 それは、自分とキャラクターとを照らし合わせながら生活していく中で捨ててきてしまっていたり、忘れさられている事柄について共感し、理想を追い求めていたためかもしれません。

 それでは以下、第10話までの事柄に関して「夢」と「信頼という絆」ということに焦点を当て、まずはアニメの中で共感させられた部分を箇条書き的にとりあげ、その後、現実との対比ということについて個人的ではあるのですが感想を書かせて頂きたいと思います。
(1)  夢を追い求めたいと思う心(第4話)

 まず第4話においては、「夢」を実現することの困難さということに焦点があてられていたように思われます。

 ワコの歌声はプロダクションの人にスカウトされる程の実力であり、本人も幼いころから心の中で歌手になることを夢見ていたようです。

 しかし、「皆水の巫女」という立場から町の外に出ることができずに夢を断念せざるをえないのです。

 それにここでは、ワコがタクトとスガタの男と男の現実的に困難であり禁じられた叶わぬ恋を妄想しているというこや、副部長がてんとう虫を捕まえようと追い求めている(=副部長の追い求めている夢)にも関わらず、結局手が届かないということなど、夢を実現のものにすることの困難さを表現しているのです。

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(2)  お互いを認め合う信頼という絆

 第7~10話においては、「お互いを認め合い相手のことを信頼しあえることの大切さ」ということに焦点が当てられていたように思われます。  

 (2-a)  タクトとスガタの男の熱い友情(第7・8話)

 まず、第7・8話においてはタクトとスガタの熱い友情ということに焦点が当てられているように思われます。

 第7話においてベニオがスガタにキスをしたことによって操られてしまったかのように思えたのですが、第8話においてタクトとスガタが自分の思いをお互いがぶつけあい、それを認めることによってお互いを理解し信頼を深めていくことができるということを見せていただきました。

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 それにここではサイバディー線で当初、雨の中での戦闘であったのにも関わらず、お互いがお互いをぶつけ合うという戦闘が終結するとその曇り空が晴れていくということが信頼を深めているということを強調しているように思われるのです。

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  (2-b)  マリノとミズノの姉妹愛(第9・10話)

 そして、第9・10話においてはマリノとミズノの姉妹愛ということが描かれていたように思われます。

 ここでは、ミズノは言葉を用いなくてもアイスの種類を当てることができるということは、お互いを心から理解しているからこそではないでしょうか。

 それに、マリノも異なる種類のアイスではなく、わざわざ同じ種類のものを持ってきていることからも2人の関係の深さを物語っているように思われます。

 また、高校生というお年頃でありながらも姉妹共にお風呂に入っているということ、すなわち裸になるということからも相手に対する信頼というものを表わしているのです。

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 さらに、マリノが綺羅星十字軍に加入しながらも、それは日死の巫女であるミズノを守るためのものであるという葛藤が描かれており、日死の巫女を追う十字軍にミズノを守るために加入しているということからも姉妹愛をうかがわせるものがありました。

 そもそも、第10話においては野球をテーマにしているのです。

 野球と言えばチームワークという絆が特に必要となるスポーツだと思いますので、そもそも野球をテーマとすることによって、"絆"ということが意識しやすいようにしているのではないでしょうか。

(3)  現実との対比の中で

 (3-a)  夢を追い求めたいと思う心

 自分も幼い頃には大胆にもプロ野球選手になりたい、歌手になりたいなどと憧れを抱き夢を追い求めていたにも関わらず、大きくなるにつれ現実との対比や、家族への負担などを考え憧れであった夢を諦めてしまい、俗に一般的と言われるような職業を選択してしまっているように思われます。

 確かに、この選択は自己の判断によるものではあり、夢を諦めてしまうのは自分の自信のなさからくるものではあります。

 だからこそ、自分の夢を職業につなげることができたらなとロマンを追ってしまっている側面もあるのではないでしょうか。

 それに、死んだ世界ではなく現実世界で岩沢さん(Angel Beats!)もミュージシャンになりたいと夢を追い求めていたにも関わらず、結局病気により夢が叶うことはなかったことを「Alchemy」の歌詞の中で「無限に生きたい 無限に生きられたら 全て叶う」とその想いを歌にしていることからも夢を追い求めたいと思う気持ちがうがわれますw

 (3-b)  お互いを認め合う信頼という絆

  そして、信頼ということであれば、先日、銀行実務家の人から聞かせていただいた笑い話なのですが、「人って信頼を築くには何年、何十年ってかかるのに、不渡*1になったときは5分で確認の電話が入るんだけど悲しいよね」*2とおっしゃっていました。

 このように人間の意識の中では良い事柄と悪い事柄では必ずといってよいほど悪い事柄の方が先行してしまい、リスク負担等の問題を検討した際に相手のことをなかなか信頼するという事ができないのかもしれません。

 ですが、自ら命を絶つという究極の手段である自殺の実存的状況が「他者との共生の可能性が途絶えたと観念した状態」*3、すなわち他人とのつながりがなくなったときである*4と言われていることからも、心の中では常に他者とのつながりということを意識しているのではないでしょうか。

 若い頃、自殺未遂を繰り返した太宰治は「葉」(ちくま文庫「太宰治全集」)のなかで、自分は死のうと思っていたにも関わらず、正月に知人から麻の着物をもらい、それが夏物であることを知り、夏まで生きてみようと書いているのです。

 これはせっかくもらったプレゼントを着るべき時に着たいという気持ち、すなわちその知人からもらったプレゼントを着るべき時期に着ることで他者とのつながりがまだ途絶えていないと実感できたからこそ夏まで命を持ちこたえさせたと言われているのです。

  このように、心の中では1人では生きていくことができず、常に人に頼っていかなければならないと認識しているにも関わらず、自分1人で解決しなければならないと焦る気持ちが先行してしまい、現実との対比の中で他人に頼る(信頼する)ことを忘れてしまうときもあるように思われます。

(4) 結語

 上記に挙げた2つの事柄ですが、夢に対する価値観も人それぞれだと思いますし、またどこからを信頼と呼ぶかという基準もあいまいではあるとは思います。

 ですが、夢を現実にできたらと思う事や、お互いを認め合い、相手のことを認め、心から信頼しあえたら楽しい人生を送ることができるのではないかと理想を抱いているのにも関わらず、現実的に実現することがなかなか困難であるのではないでしょうか。

 現実的に困難な事柄である夢(理想)を現実にできたのでならばと思う気持ちを反映させていたり、タクトやスガタ、またはマリノやミズノが映し出してくれているように生きれば未来を幸せに生きられるのではないかと自分をキャラクターと照らし合わせながら共感し、理想を追い求めていたのではないかと思います。

 以上、個人的な感想であるにも関わらず、最後まで読んでいただけたのであればありがたいです。


*1 手形や小切手の支払期日を過ぎてしまっているにも関わらず、額面全額を支払うことができない状態。6カ月の間に2回不渡を出すと、銀行取引停止になる(実際、会社は1度に何枚もの手形や小切手を出しているため、銀行の約款によって1度の不渡ですべての手形や小切手が不渡りとなる結果、銀行取引停止となってしまっている。)。通常、取引の決済は金融機関の当座取引によって行われていることからも、銀行取引停止の処分を受けることにより、事実上、事業を行うことが困難となり、会社自体は存続していても事実上の倒産状態となる。

*2 信頼関係を作ることが困難であるのに対し、長年関係を築いてきたにも関わらず1つの原因で信頼関係が崩れてしまうことの容易さの比喩的表現。

*3 小浜 逸郎「なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために」(洋泉社)

*4 「後追い自殺」の存在がその典型例である。