時が立つのは早いもので、ご無沙汰している間に秋の新番が始まる頃になってしまいました。新しい作品に出会えることは嬉しいことではありますが、最終回を迎えた作品の話題性が日に日に失われてしまうことには焦りを覚えます。

 大好評のままに放送を終えた「けいおん!!」。その総括記事を載せると私自身のブログでは宣言しましたが、未だ筆を執ることのないまま10月を迎えてしまいました。そして、ここに寄稿しようと思っていたいくつかの記事も、放っておけば旬を過ぎてお蔵入りになってしまうこと間違いのないところです。そこで、私のブログに載せる総括記事とこちらの記事を天秤にかけた結果、まずこちらのほうを書いてしまうことにしました。これにて、総括記事のほうは風前の灯火であります。

 今回の記事、タイトルは「ブログの書き方を考える」になっていますが、そう大したものではありません。私が、「けいおん!!」の感想を書くにあたって少しばかり意識していたことについてご紹介しようと思ったに過ぎません。時折、各話感想を書いていた当時を思い出しながら、この点についてお話しようと思います。

 副題につけましたとおり、私が感想執筆時に少し意識していたのが「梓」と「あずにゃん」の使い分け。私が「アニメを考えるブログ」にて連載していた各話感想においては、「中野梓」というキャラクターを文中で呼称する際に「梓」を用いる場合と「あずにゃん」を用いる場合とがありました。連載中、一度たりともコメントでその点について触れられることはありませんでしたから、おそらくは誰も気にしていなかったことかと思いますが、何の脈絡もなく使い分けていたわけではありません。もっとも、そう厳密に使い分けていたわけでもありませんでしたから、その運用にはなかなか怪しいところがあるのも事実ですが。

 この使い分けの発端は、1期の第9話「新入部員!」の感想記事の冒頭に、「梓はあずにゃんになれるか」と表現したことにあると思います。「あずにゃん」という呼称が何なのかというと、それは唯が梓に対してつけたあだ名です。1期9話を観直してみると、当時梓はけいおん部の雰囲気が合わない様子を見せてることがわかります。梓は、けいおん部とは違った空気を持っていたんですね。それに対して、唯のつけた「あずにゃん」という言葉は、当然唯たちのもつけいおん部の空気を持ったものです。

 この回以降、最初は部の雰囲気や唯に対して反発を覚えていた梓も、徐々に徐々にけいおん部に溶けこんでくるようになります。それでも、完全に同化することはなくて、登場時からの梓の性格を保ってけいおん部の雰囲気や唯に対して一歩距離を置いている時と、部の雰囲気に溶けこんで唯たちとほぼ0距離にある時が表れるようになります。理性的な梓と、素直に自分の感情を出すあずにゃんとも言えると思います。

 もうおわかりでしょう。私が「梓」を使うときというのは、けいおん部の雰囲気に完全に溶け込んでいる状態ではないとき、具体的にはだらけている唯を注意したり「大丈夫です」と先輩たちに強がってみせる時に「梓」を使い、けいおん部の空気を完全に同化しているとき、具体的には素直に唯に甘えてみせたり最終回で泣き出してしまったときですね。

 もっとも、先程述べたとおり必ずしも厳密に使い分けているわけではなくて、「あずにゃん」を使うべきところで「梓」になっているところが多々あります。「少し」意識している程度だったので、私が書きながら自然と「あずにゃん」を使いたくなるような場面で「あずにゃん」を使っているということになりそうです。

 振り返れば、この作品は梓の長期的な心の動きが描かれていました。梓が「梓」としての自分を頑固なまでに保とうとしながら、時折「あずにゃん」になっているのを見せるときは本当に微笑ましたかったものです。1期9話で「あずにゃんになれるか」と書いたときは、1期の間中に「あずにゃん」になるものと思っていましたが、2期になってもなかなか「あずにゃん」になることはありませんでした。「カムバック私!」の回などは、実に顕著に「梓」と「あずにゃん」の間で揺れ動く梓が描かれていました。

 私は、梓が「あずにゃん」になったのは、最終回(24話)で「あんまりうまくないですね」と言った時ではないかと思います。多くのブログさんであまりこの言葉の意味について取り上げられていなかったので寂しかったのですが、1期1話の唯と全く同じセリフを話したこの時こそ、唯の物の見方考え方、楽しみ方を完全に受け入れた時なのではないかと思います。入部したときは演奏の凄さに惹かれていた梓。「でも私、もっともっと聞きたいです」と続けたこのときの彼女は、けいおん部の魅力がどこにあるかということを唯と同じように感じ取ったのだと思われるのです。

 しかし、それでも梓は「梓」を見せるんだろうなあ、と思ったのは番外編②を観た時。先輩を不安にさせないようにと隠れて新歓ライブの練習をしていたことは、まさしく「梓」の行動です。その後「ふわふわ時間」のアレンジの演奏をしたのはどっちかなあ。時系列的には最終回(24話)のほうが後ですから、26話ではまだ「梓」だったけど24話で「あずにゃん」になったんじゃないの? とも思われるかもしれないですが、わざわざ卒業式前の26話を24話より後に持ってきた制作者の意図を考えると、26話の梓のほうが将来につながるものと考えたほうが自然ではないでしょうか。

 さて、私がそれほど厳密にやっていたわけではない「梓」と「あずにゃん」の使い分けから、梓の人物像についての話にまで及んでしまいましたがいかがでしょうか。これから私の各話感想記事をチェックして「ここで言っているような使い分けになっていないぞ」と突っ込むのはよしてくださいね(笑) 自分でも気づいたら使い分けているといった感じでしたのでけっこういい加減です。

 それはともかく、私は普段の各話感想について、自分が思ったことを述べていると同時に、その作品を読者に紹介しているのだという意識も少なからず持っています。そのために、自分の感じ取った作品のことを忠実に伝えるために表現には出来る限り気を使っているのですが、今回の使い分けも一応その一環であります。

 今回は、私が「けいおん!!」の感想を書くときに意識していたブログの書き方の1つをご紹介しました。これがまた、あずにゃんを他の人に伝えられるものになっていればいいなあ、と思います。

ここまで長々と拙稿をお読みいただきありがとうございました。