久々の寄稿となりました、uhdでございます。すでにここでの存在感が希薄化しているような気がすることに多少なり危機感を抱くところではありますが、今後もあまり寄稿を活発化させる余裕はなさそうなのが現状であります。
今回主題に「その1」と振ったのは、おそらくは同じテーマについて題材を違えて取り上げることになるだろうと思われるゆえで、定期的な連載を意味するものではありません。しかし、なるべく期日を空けずに寄稿できれば良いとは思っています。

先日放映された「けいおん!!」の20話では、毎回評価の高い内容となっている中でも格別の感動を呼んだようで、随所で賞賛と感嘆の声が上がっていました。その中で、①唯の「私たち放課後ティータイムは、いつまでも、いつまでも、放課後です」という台詞、②梓が先輩たちとは違って涙を流さなかったこと、の2点の解釈について、各ブログの様々な解釈を見ながら特筆すべき点があったように思いますので、ここで解釈の手がかりを示しながらいくつかの検討を加えていきたいと思います。
本来ならば、ここで解釈の検討を展開する前提として、私が普段いかなる材料をもとに、いかなる思考過程をもって解釈をしているかということの紹介をなすべきところではありますが、その執筆を待っていては格好の解釈の材料を取り逃がしてしまうことになりそうなので、その紹介はまたいずれ行うこととしたいと思います。

それでは、以下に続きます
まず、この2つの解釈に共通する検討事項として、どこまで具体的な解釈を付与すべきかという問題があります。私が思うに「解釈」とは、作中にあるとっかかりをたどりながら糸を手繰るように考えていくものであり、とっかかりなしに考える「想像」とは別個のものと言えます。とっかかりが無いのにあんまり深入りし具体的に過ぎる解釈をするとかえって情緒が失われてしまうかもしれない、と思っています。

それでは、①唯の「私たち放課後ティータイムは、いつまでも、いつまでも、放課後です」の解釈について。この発言については、メルクマールさんの長嶋茂雄氏の引退時の発言を引き合いに、①を「引退宣言」と捉えられていることが発端となりました。私自身、脳裏の一部に長嶋茂雄氏の発言を思い浮かべていました。しかしながら、果たしてここで唯が「引退」の二文字を意識していたかについては議論の余地があります。言い換えれば、この台詞の解釈として、自分たちは引退するけれども放課後ティータイムは続くのだという意味であると考えるべきか、という問題があります。そこで、①を解釈するにあたってどの部分が検討の材料となりそうかと考えていきたいと思います。

ある台詞の解釈を考える際には、その台詞を発したキャラの前後の台詞・行動・態度(性格)などを考慮することになります。アニメにおいて分かりやすいのは、はっきりと文字として認識できる台詞ですから、まずは前後の台詞から検討することにします。すると、この台詞を発する前には、これで最後の曲であるという趣旨の発言がなされています。つまり、ここで今回の演奏が終わってしまうということを言っているわけです。この最後の曲であるという発言が、自分たちの最後の演奏になるというニュアンスが強いのであれば、唯の①発言には「引退」の意味合いが強く含まれているということになりそうです。しかし、これがあくまで今回の演奏における最後の楽曲であるという意味合いならば、唯は特に自分たちが引退するのであるということを意識して発言したわけではないということになります。自分を支えてくれた全ての人・物に感謝の気持ちを伝えていること、若干泣きそうな声になっているように聞こえること(これは声優の演技の妙か?)からすると、唯がここで「引退」することを意識していたという見解は説得力を持ちそうです。
次に、この後の台詞のほうを考えます。ちょっと「行動」の部分も含まれているのですが、演奏後に唯は「来年の学園祭は、もっともっと上手くなってるよ…」と涙ながらに言葉を発しています。この場面からすると、いよいよ引退を意識した唯は、たまらないほどの寂しさと切なさを感じており、その事実を否定したくなるほどの衝動にかられていると言えます。この場面では、唯及びその他の面々がこれで自分たちの部活が終わりであること、ひいては「引退」を意識していることは間違いなさそうです。それでは翻って①の台詞の場面で「引退」を意識しているとすればどうでしょう。もし、そこでも同じように「引退」が意識されているのであるとすれば、そこで唯は同様の反応を示した(例えば涙を流すなど)可能性が高いと考えるべきだと言えそうです。①の台詞の時にすでに引退を意識していたのであるとすれば、後の場面と大いに反応が食い違うことが構成上不自然なことになります。
したがって、場面解釈的には、A①の場面では唯は「引退」のことまでは意識しておらず、単に最後の楽曲であることに対して自分たちの「放課後」はまだまだ終わらないことを叫んでいる、B①の場面ですでに唯は「引退」を意識しているが、後に泣き出した場面で感じている「引退」とは別種のものである(あるいは①の時点ではそこまで実感がわいていなかった)、という2説が考えられるでしょう。私の採る解釈はAです。ただ、Aにしても解釈が具体的に過ぎるようで、そこまで考えられるほどの手がかりが作中にあったわけではないと思われます。私としては、A´ 唯は、深く考えずに楽曲は最後だけどこれで自分たちの楽しかったことが終わってしまうわけではない、ということを叫んだ(何となくこれで全部終わってしまうわけじゃないんだ、くらいの気持ちで。実際には自分たちは続かないということを後にはっきりと意識させられる)というくらいの解釈が妥当なところではないかと思います。
さて、冒頭で長嶋茂雄氏の台詞を出しましたので、これに言及したいと思います。というのも、唯の台詞が長嶋茂雄氏を彷彿とさせるものであるから、これは引退の意味合いが含まれているのであるというふうに、作品外から解釈する見解も考えられるからです。
ところで、この長嶋茂雄氏の発言は非常に厄介なものであります。なぜなら、あまりにも有名であり多くの人に印象づけているものであるために、少しでも類似の場面で類似の発言をしてしまいますと、作者の意図の逆らってでも視聴者の意識が長嶋茂雄氏の引退にフィードバックされてしまうからです。したがって、物語の作り手はうっかり長嶋茂雄氏の発言と似たものを登場させてはならないわけです。ところが、この発言の内容自体は特別珍しい表現を使用しているものでもなく、例え氏を知らなくても普通に使ってしまいそうなものです。「ずっと終わらない」という意味合いのことは、どこでも使いたくなるものでしょう。ということで、大して特別なものでもないのに、すぐに長嶋茂雄氏の発言に結びついてしまうという点で非常に厄介なわけです。
今回も同様のことが言えます。果たして今回の台詞が「引退」の意味合いを含んでいるものであるか否かは、制作者がこの唯の発言を長嶋茂雄氏の発言と意図的に結びつけようとしていたか否かに左右されます。制作者も、唯の台詞を設定するときに、ちらりとでも長嶋茂雄氏の発言を思い浮かべなかったということはないはずです。したがって、制作者がこの台詞を長嶋茂雄氏の台詞と関連付けようとしていたのならばそこに「引退」の意味を含ませようとしていたということになり、逆に関連付けさせたくないと思っていたならば「引退」の意味が含まれることを避けようとしていたと考えることができます。そのいずれであるかの判断は、①の台詞中の「いつまでも、いつまでも」をどう考えるかによります。この「いつまでも、いつまでも」を入れたのが、長嶋茂雄氏の「永久に」と対応させようとしていたものなのであれば、制作者は長嶋茂雄氏の発言と結びつけようとしていたということになるでしょう。しかし、この「いつまでも、いつまでも」は、長嶋茂雄氏の台詞と被らないようになんとか「永久」とは違う言葉にしようという制作者の苦心の末の産物であるとすれば、制作者は①の台詞を長嶋茂雄氏の台詞から遠ざけたかったということになりそうです。
さて、それで一体どちらなのかということですが、個人的には長嶋茂雄氏の発言に関連付けたいのならばいっそ「永久に」か「永遠に」を使うのではないかと思います。しかし、この2つはあの場で唯が言うには似合いそうにもありませんから、そういう配慮で変えたのだということも十分考えられます。結論として、これはどちらであるか判断は付き難いと言えるでしょう。ただ、結局制作者の意図にかかわらず長嶋茂雄氏の発言へと意識が誘発されやすいということを考えれば、似ていることをもってすぐさま長嶋茂雄氏の発言に考えを向けるのは制作者に気の毒かな、という気はします。場面解釈としては、他の部分から考えていくのが良いでしょう。
以上からすると、あまり長嶋茂雄氏の発言については斟酌せずに、前後の場面状況から解釈したほうがいいのかな、と個人的には思います。

…以上で今回の解釈の検討を終えますが、今回の長文の趣旨は何が妥当な解釈であるかというのでなく、この台詞の解釈としてどこにとっかかりがあるかということにあります。別な材料の添加により解釈結果が異なる可能性もありますし、他により妥当な解釈が存在する可能性も十分あります。当然私も自分の意見や感覚というものを持っていますから、私が妥当だと思う解釈は存在するわけですが、今回においては他の意見を否定するほどの材料は無かったように思いますので上で並べたA・Bで言えば五分五分かなあ、と思います。
本当は、いくつか別の解釈を紹介して検討しようと思っていたのですが、実はメルクマールさんの記事を読んだ時に「この台詞に色々考えている人は多いはずだ」と勇み足で執筆してしまい、後から検討材料を増やすためにブログを回ってみたら①については「ポカーンとしていた人が多かった」など場面に突っ込んで終わりのものばかりだったという、準備不足を露呈するようなことになってしまいました。C唯は勢いに任せて叫んだだけで特に内心に意味はなかった、という解釈が大正解ということも十分ありそうですね。

 さて、まだ①が終わっただけで②が残っているのですが、これは別記事に回したほうが良さそうですね。こちらのほうは、①よりは解釈されている方が多いようなので、いろいろ並べることができるかもしれません。来週日月あたりに寄稿しようかと思います。今回は、少々細かに書きすぎたきらいがありますので、次回はもっとさっぱりとしたものにしたいと思います。