夏の新作アニメの放送も始まってしまいまして、いろいろと出遅れた感はありますが、前回に引き続きまして「アニメで人生を考える・後編」を掲載したいと思います。

なお、本ブログに寄稿する際には「で・ある調」にする予定でしたが、前回の記事が近寄りがたいとか怖いとか、色々と言われてしまいましたので、普段どおりの「です・ます調」にしたいと思います(余談ですが、小論文など書くときには「で・ある調」で書くのがいいですよ。混ぜるな危険)。

 前回の予告通り、今回は「Angel Beats!」を中心に取り上げますので、その点ネタバレにご注意ください。また、今回の記事でも「けいおん!!」に触れるところもありますから、その点やはりネタバレにご注意ください。

 それでは、以下に続きます。



 さて、後編においては「Angel Beats!」について、どこに人生が感じられるかということを中心に論じるわけですが、この点私は記事のタイトル名を付けるにあたって大きく失敗いたしました。「Angel Beats!」が「人生賛歌」と言われていることをすっかり失念していたのです。そんな状況で「人生を考える」などと銘打っては、いかにも仰々しそうな、作品の本質に迫るかのような印象を与えてしまいかねないことになります。もちろん、以下に述べますことも作品の本質の一端を担っていることに間違いはないのですが、前回「けいおん!!」の時もコメント下さった方が思われていたような、人生全体にかかるような壮大なものではなく、もう少し身近な事柄について述べていくつもりであります。何しろ「けいおん!!」と並べて書くわけですから、両者の似通っている部分を中心にしていくことになります。したがって、まずはこの記事がそれほど深く大それたものではないことをご留意ください。

 むしろ、前編の「けいおん!!」と比べても、今回の方がより身近な(特に現役高校生の方にとっては)内容となっていると言えるでしょう。というのも、「けいおん!!」に描かれている人生(高校生活)が非常に特殊なものであるのに対して、「Angel Beats!」に描かれているそれは、実に平凡で誰もが経験しうるものだからです。

 「けいおん!!」の人生が特殊であるというのは、登場人物、特に主人公の唯が高校生活のほとんどを通してけいおんという部活にのめり込み、その行動は外にバンドをやりにいくほどアグレッシブなものであるということにあります。なぜなら、進路に悩むという誰しも訪れる部分はさておき、そのような部活に熱心に打ち込み多くの活動を行いよく知られた存在になるという経験を高校時代に得る人というのは、どちらかいうと少数派ではないかと思われるからです。作中の唯のような活動をし経験をしたという人は、実は少ないのではないでしょうか。一応、前編においては非常にリアリスティックに描かれていると述べましたが、唯達に近い、あるいは似たような生活を送っていても、唯たちとほぼ同様の行動をした人というのは少ないかもしれない、そう思われるところです。そこに、「けいおん!!」に描かれた人生の特殊さがあると言えます。特殊というと少し言い過ぎかもしれないですが、一番良い部分が描かれているということは確かです。

 それに比べて「Angel Beats!」のほうはと言いますと、この死後の世界で満足を得て新たな人生へと進む条件の1つとして、真面目に授業を受けるというのがありました。物語当初より、消える条件とはまずこれであり、そしてかなでの言葉によれば実際に多くの人が楽しい学園生活を送って消えていったということでした。この授業を受けるということがどういうことかは、12話にてゆりが仮想の学園生活を送る様子が描写されたことに現れていました。実に楽しい、友人と他愛もない会話を交わし、チャイムがなれば席について、ノートをとって先生の質問に答えるのが当たり前の授業を受け、そして休み時間になればトイレに行くなり再び友人と戯れるなりする…。そういった日々が少しだけ描かれていました。

 これこそ、実に当たり前の高校生活であると言えます。多くの人が経験しうるであろう、平凡で、しかし楽しい毎日。かなでは、多くの死後に世界にきた人間にこの生活を送らせようとしていました。この生活を送ることこそが、生前理不尽な人生によって得られなかった青春を得させ、そして満足してこの世界を去っていくことになるのだと…。かなで側が提供する人生であったと言えます。

 しかし、これにも突っ込みは入るでしょう。果たしてすべての高校生がこのような生活を送れるというのだろうか。あるいは、このような規律された生活などとても楽しいとは思えない人もいるのではないか。そういった人たちにとって本当にこれは人生と言えるのかという疑問が生まれるでしょうし、実際にこのような高校生活を送ることができない人というもの大勢いることと思います。

 それではそういう人たちは人生を送れないのかというとそうではなく、その生活を送れない、あるいは受け入れらない人たちの人生もきちんとこの作品の中には描かれています。それこそがゆり側の提供する人生であると言えます。授業を受けず、先生の言うことも聞かず、模範的な行動すべてを避けるような日々を送る…。かなで側の提供する人生を拒否する、言わば外れ者の集まりが戦線メンバーであったと言うことができます。

 模範的な、ありふれた高校生活を送れないものは楽しい青春を送れないのか? そうではないことは、実に毎日の楽しさを見せてくれた戦線メンバーが如実に語っていたものと思われます。誰もが送るような平凡な高校生活が送れなかったとしても、楽しい人生は過ごすことができる。それが、ゆり側の提供した人生だったと言うことができます。

 このように、「Angel Beats!」はかなで側とゆり側、ありふれた高校生活を送る者と、そうでない生活を送る者、双方の人生を描いているものだと言うことができます。その点で、この作品に描かれている人生の範囲は、「けいおん!!」のそれよりも実に広く一般的なものであるということができるのです。

 こうして考えてみると、作品開始当初かなで側とゆり側が激しく対立していたことは実に興味深いものですね。それが途中からかなでが仲間になったことや、最終話でゆりとかなでがすっかり仲良くなっていたことを思い返すと、これらはもっと興味深い。今回は長くなりすぎるのでこれ以上は深く考えませんが、このあたりに思いを馳せるとまた違った面白さを感じることができるでしょう。

 以上から、「Angel Beats!」の作品には、2つの一般的な人生(高校生活)というものが見られたということができ、そしてここから2つの人生について考えることができると思います。おそらくは、多くの人が考える人生とは違った見方をしましたが、この作品にはこのような人生の側面が見られるのだということがお伝えできていればと思います。制作者がこの点について考えていたかというと、多分それはないと思いますが、作られた作品からこのような側面が浮かび上がるということです。

 ここまで、前編・後編と二つの作品を取り上げて、そこから見える人生について述べてまいりました。前回の冒頭で述べたとおり、そして前回記事におけるコメントで述べたとおり、人生を感じられる、考えることのできる作品はこの2つに限るものではなく、また今回提示した人生は高校生活(青春時代)というごく限られた範囲のものでした。他の作品でより大きな人生を感じ考えることができると思います。別な作品でも、ちらりとこの点について考えて見られてはどうかとご提案して今回の寄稿を締めくくりたいと思います。ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました。