Angel Beatsもいよいよ佳境です。
他の感想ブログやニュースサイトを見ても
今期最も話題になっている作品だと思います。

先週はアニメーターの西田亜沙子さんが自らのブログで
批判的な記事(真っ当な批判で良い指摘が沢山あります)を投稿した所
ネットで殺害予告が飛び出し、記事が削除されたという事も起こりました。

こうした賛否両論ある話題性はおそらく「麻枝准」という原作・脚本を担当に
原因があると思われます(またはそう見えます)。
特に彼のシナリオをABで初めて体験した方にとっては
その特異性に色々思う所を感じてしまうからではないでしょうか。

この記事では麻枝の特異性を自分なりに考えてみたいと思っています。
今回のABによる麻枝のアニメ業界への参戦は
「アニメ界の黒舟襲来」とでも名付けましょうか。
PCゲームで実績をあげ、その界隈ではビックネームですが、
オリジナルアニメの全話脚本を担当するのは破格の待遇です。
CLAMPの大川七瀬も、脚本を担当するのは自分の原作のみです。
それだけ、彼のシナリオと彼が抱えている多数のファンへの期待感がうかがえます。

この麻枝の作品はPCゲーム時代の作品もそうだったのですが、
賛否両論に分れやすい性質です。つまりABだけが賛否両論というわけではなく、
AirもKanonもClannadもネットで色々言われていた作品だったわけです。
だからABでも色々意見が出てくる事には「起こるべくして起こる」という印象でした。
むしろABについての意見を見ると、Airやkanon当時を知らない世代が多い事が印象的で、
ファン層の入れ替わりが激しいオタク界を垣間見たような気がします。
といってもAirやkanonの話は10年前の話ですから、隔世の感を思わざるを得ないです。

私は麻枝が紡ぎ出すシナリオは「既存の尺度で測れない」と考えています。
尺度で測れないから、見方・評価の仕方がわからない。
だからこの部分が決定的に賛否両論を巻き起こす要素になっていると思います。 
では既存の尺度で測れない要素を3つ上げてみます。

① 断片的な世界観や設定の説明、伏線の未消化といった強引に強引を重ねた展開。
② 主要人物全員がトラウマ持ちで彼らの自分語りによるお話作りがメインな点。
③ 「泣き」「感動」という目的の為にはどんなあざとい手段も平気で行い、
その為には全体や前後の整合性の犠牲も厭わない作風。

つまり僕の中での麻枝像は強引に話を作り、トラウマ語りをメインにした人物描写、
「感動」の為にはあざとい事を行う作家という評価です。
ABでは「人が死なない」設定をギャグとシリアスの部分で都合よく使い分けます。
断片的に世界や設定の説明があるも、次の展開に移るとその説明が平然と切り捨てられます。
トラウマを語るだけで、人物の内面描写を済まそうとしているのです。
こうした麻枝の手法は今まで我々が身につけてきた尺度とは違いすぎるので、
特に初めて体験する人は「今までと異質な物語」として当惑するのだと思います。
それは①から③の要素を逆にすれば、より明確にわかると思います。

①' 丁寧に語られる世界観や設定の説明。伏線をきちんと消化した自然な展開。
②' トラウマ設定やトラウマ語りに頼らない、人物・お話作りの設定。
③' 全体の整合性を考慮したお話作り。あざとくない手段で目的に達成する点。

では麻枝が優れていないかといえば、そうではないと思っています。
それは③の「泣き」「感動」という目的という点において多くのファンを獲得しているからです。
つまり手段はどうであれ、目的は達成しているのです。
現に批判的に書いてありますが、私も当時Airをプレイした時は感動しました。
既存の尺度から見れば、破たんしていると見られる麻枝の作風がなぜファンを獲得しているのか。
ここが最大のポイントだと思っています。

私の考えでは特にPCゲームのシナリオにおいてですが、
麻枝のシナリオ、文章は過剰的(エネルギーが凄い)なのです。
なんだかよくわからないけど、その凄さに圧倒されるわけです。
これはゲームをプレイしてないとわかりづらいとは思うのですが。
その凄さは宗教的ともいえるかもしれません。だからファンの結束が固いのかもしれません。
この力は作品の整合性をも破壊して、ウケそうな要素をごった煮にしているABでも同様です。

また今の時代が既存の尺度が通じない、揺らいでいるからこそ
麻枝の作風が支持されているのではという考えもあります。
なぜ揺らいだかといえば、社会環境の変化やネットの登場など色々あげられると思いますが、
最大の理由は時代に応じて求められる「物語」が違うからです。
今の時代、麻枝のような作風がある層で支持されているという事です。

正直、ABの11話でゆりっぺが影の襲来に対してSSS団メンバーに対して
「単独行動は慎むように」と言ったのに数分後には各キャラが単独で思索にふけっているシーンがあります。
こういう場面を見させられるとシナリオ的には完全に破たんしているとも言えますし、
それを許容できない方の意見もよくわかります。
しかし麻枝にとってはどうでもいいのでしょうね。
それ以上に優先したい、見せたい、伝えたいメッセージや世界があるのでしょう。
そうしたメッセージや世界を評価するか。または既存の尺度を重んじて作品を見るか。
正直、試されているのは我々ではないかと思います。

ただABみたいな作品が世に出られるのは麻枝氏のキャリアの問題であり
他の人がABみたいな話を書いても、当然受け入れられないと思います。
そういう意味ではアニメの脚本家としての麻枝は評価しづらいですし、
まだ1作目ですから、次を見て評価したい気持ちもあります。
でもゲームという別世界から来られた方が、オリジナルアニメの全話脚本というのは
力が無ければできない芸当だとも思います。
ただ、脚本をゲームのソナリオの延長線で書いてしまった部分があったと思います。
そこがアニメにする時にスタッフ側が大変だったのではないかと思ってます。

ABはどう決着をつけるのか、予想もつきません。
でも予想がつく作品が見ていて面白いのでしょうか。
TVアニメは毎週見ていてドキドキ・ハラハラ感がほしいというのもあります。
そういう意味で予想は裏切るABが見ていて面白いと個人的には思ってます。